「大人に決められるよりも、自分で決めようと思った」(増田)

増田 あの頃、NHKでも民放でも、プロの歌手がテレビ番組に出演するには、放送局の行うオーディションを通過する必要があったんですよね。

近田 恐らくもう、今はなくなっちゃったと思うんだけど、不思議な風習だったよね。NHKの時は、審査員に藤山一郎先生がいらっしゃったんですよ。ただでさえ、バンドってことでちょっと畑違いだったから、緊張したのを覚えてるよ。その後も、ピンク・レディーの2人とは、いろんな各民放のオーディションで一緒になりました。

増田 もう50年も前の話になるんですね(笑)。

近田 このあたりで、ケイちゃんの生い立ちをさかのぼりたいと思います。

増田 私は静岡で3人兄姉の末っ子として生まれたんですが、3歳の時に、父が交通事故で亡くなってしまったんです。6歳上の兄と3歳上の姉を抱える母は、働かなくちゃならないから、私は、平日は焼津にあった母の姉夫婦の家に預けられていました。

近田 昔はさ、保育園なんかもあまり整備されてなかったから、結構そういう境遇の子が多かったよね。

増田 姉夫婦の家には、子どもがいなかったんですね。それで、土曜になると実家に帰り、日曜には焼津に戻るという生活を送っていました。

近田 単身赴任みたいな感じだったのね。

増田 その後、小学校に上がるタイミングで、戸籍だったか住民票だったかの都合から、一旦は家族のところに帰ることになったんだけど、私が戻ってもお母さんは仕事できるのかなあとか、伯父さんと伯母さんが寂しい思いするだろうなあとか思って、私、実家に戻るはずだった前の晩に、自分でおじさんとおばさんの家の子になるって決めたんです。そして、養女になった。

近田 物心ついて間もないっていうのに、重大な決断を下したね。

増田 大人に決められるよりも、自分で決めようと思ったんです。

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