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海の上に張り出す旧堺燈台

 公園を離れ、海の上に張り出す高速道路の脇にひっそりと建っている旧堺燈台に向かう。

 ランプ部分は、LEDになっているそうで、この時は見られなかったが、かつて港を照らしていた緑色の灯りを再現しているという。

 外も中も白塗りの建物は、どこかノスタルジックで美しく、アニメや映画の舞台になりそうだ。

 歴史改変SF的な(当然、自治都市だった堺の鉄砲鍛冶や、豊臣方の焼き討ちなんかも絡んでくるであろう)物語の、時の流れの中のまさに「灯台」の役割として、象徴的な存在に使えそう(妄想)。

 面白いのは、中に入ると、壁板に「木目」が描かれていることである。

 本物の木目ではなく、わざわざ筆や刷毛で「木目模様」が描いてあるのだ。どうやら、当時は木に「木目模様」を描く、という工事がトレンドだったらしい。

 風が抜けて気持ちがいいが、台風の時などはモロに被害を受けそうだ。実際、室戸台風(一九三四年)やジェーン台風(一九五〇年)もあったし、ダメージがあったのではないか。それは燈台というものの性格からいって、避けられない宿命だろう。

 ともあれ、天気のいい日の燈台から見る海は壮観である。ここでクラフトビールの屋台でもあったら――と夢想する旅行者であった。

日本の灯台守は家族単位

 しつこいようであるが、この日の関西は暑かった。

 私は、夜においしいビールを飲むために、昼間はあまり冷たいものは飲まない主義である。この日も、最初の一杯を楽しみに、ひたすら昼間は水分を摂るのを我慢していたのだが、大浜公園のあまりの暑さに、意識が飛びそうになったので(熱中症だ)、山本さんにいただいた冷たいお茶をついゴクゴクと飲んでしまった。

 この「灯台を読む」という企画の、前任者の原稿を読んで薄々気付いていたことではあったが、灯台というのは、えてして過酷な環境にある。

 海の難所だったり、複雑な地形だったり、迷いやすい場所の目印として遠くから見えるのだから、つまりは吹きさらしの場所だ。

 海岸線の長い日本で、そういった命綱のような施設を造り、維持管理をするのにいかほどの努力と苦労があったことか。

 子供の頃から興味深く思っていたのは、日本の灯台守は、家族単位で行っていた、という点だった。今回もその話を聞いてみたら、灯台守の家族を運ぶ、専用の船があったという。家財道具等もすべてその船で運び、引っ越しで全国を回っていたそうだ。

 西洋では、灯台守といえば、むくつけき気の荒い男たちが、閉鎖空間で来る日も来る日も二人きり、で積年の憎悪を募らせ殺人事件、みたいなイメージがあるが、家族単位で維持管理に携わる、というのが、どことなくアジア的というか日本らしい。それこそ、台風が来たりすれば命にかかわるし(過去に、妻子が高波にさらわれて死亡、という事件もあったという)、家族の結束が欠かせない、過酷な仕事だったことだろう。

 それでも、こうした天気のいい日に、家族で絶景を一望できる、この仕事を幸福に思える瞬間もあったにちがいない。

2025.09.17(水)
文=恩田 陸
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2025年9・10月号