1837年、馬具工房として創業したエルメス。職人の綿密な物づくりを軸に、ライフスタイルの進化に呼応しながら、様々な製品を提案する中、創業からちょうど100年後に誕生したのが、シルクツイルのスカーフ。
確かな職人技を駆使しながら進化し続けるスカーフは、エルメスの世界を象徴し、新たな物語を紡ぐオブジェなのだ。

衣擦れの音 朝吹真理子
フランス語で正方形を意味するカレは、1937年にはじめてエルメスでつくられた。約九十年間の膨大なアーカイブをエルメスは所蔵している。過去のアーカイブを参照しそこから解釈して新しいモチーフをつくることがあると以前エルメスの工房におじゃましたときに教えてもらった。エルメスのカレは、職人の手で縁が縫われている。繊細でまっすぐな縁で、京都の染め物屋で風呂敷の四方を同じようにしてもらおうとしたら染色で絹が硬くなるから同じようにはできないと言われたことがある。肉厚なシルクの縁をくるんと巻きながら美しく縫いあげるのはとてもむずかしい工程なのだとそのとき知った。
カレの素材は、シルク、カシミヤの入ったものなど混紡のかげんも様々ある。肩をだしたドレスの上から風除けにカレを三角形にたたんで羽織ったり、夜道を歩くときにぐるんと首に巻いたりするのも好きだけれど、わたしがカレを身につけているひとの所作でうっとりするのは、外すときのシルクの摩擦音で、ぎゅっと目の詰まった繊維が擦れるときの高音は官能的だと思う。
身につけるだけではなく一枚の布として、わたしのまわりのひとはカレをよく使う。さむさよけとして首にきゅっと結んだ後、結んだ布の垂れているところにお茶目な缶バッヂをつけるひともいる。スカーフリングがなければふつうの指輪でもいいのだと教えてもらってから、わたしはカレを巻くときは、指輪に布を通して長く垂らしている。
台湾に行ったとき、友達は、蟠桃という甘くてねっとりした桃を包むのにカレを使っていた。楊貴妃が不老長寿を願って食べたという逸話のある平べったい桃で、その青果店は袋に入れてくれるようなお店ではなかったから、ハンドバッグからカレをとりだして簡易的にそれらをくるんでいた。ホテルに帰ると、布をテーブルの上でとく。ヴィオラ模様のカレから、ごろんごろんと甘い香りの桃が出てきた。
ほかの友達も、急に日本酒を人の家まで包んで持っていくことになったとき、ほとんど柄のない珍しいカレをとりだして風呂敷がわりにして、結び、持っていた。お酒持ってきました、と言って、包みを解くときに絹の擦れるいい音がする。一枚あると便利ですよ、とみんな言うけれど、首にも頭にも、桃入れにも、日本酒をくるむかごのようにも、すべて美しい布一枚でできることだと思うとおもしろい。
朝吹真理子(あさぶき・まりこ)
1984年、東京都生まれ。2009年、『流跡』でデビュー。10年、同作でドゥマゴ文学賞を最年少受賞。11年、『きことわ』で第144回芥川賞を受賞。他にも『TIMELESS』、エッセイ集『抽斗のなかの海』、『だいちょうことばめぐり』(写真・花代)、リレーエッセイのアンソロジー『私の身体を生きる』などがある。
2025.09.30(火)
Edit & Text=Miwako Yuzawa
Photographs=Toshimasa Ohara(aosora)
CREA 2025年秋号
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