この記事の連載
足を踏み入れた離れには……

「し、失礼いたします……」
離れの中には誰もいなかったのです。
「え……」
ガランとした離れの中でAさんは、この配膳作業の目的が一気に見えなくなったこと、そして自分が余計なことに足を突っ込んでしまったのでは……という不安と恐怖を覚えたそうです。
「こ、ここに置いておきますので、何かあったらお申し付けください」
なんとなく目星をつけた場所に御膳を置いてそそくさと外に出ると、月明かりの中に立っていた女将さんと目が合いました。
「うん、問題ないわね。じゃあ、明日からこの配膳もお願い」
「え、あの……」
「守ってね、時間」
新たに加わった奇妙なルーチン。何度足を運んでも見えないお客の姿。
しかし不思議なもので、最初こそ不気味に思っていたAさんでしたが、いつしかその奇妙な作業は皿洗いと同じ“ただの通常業務”だと感じるようになっていったのです。

Column
禍話
2016年からライブ配信サービス「TwitCasting」で放送されている怪談チャンネル「禍話(まがばなし)」。北九州で書店員をしている語り手のかぁなっきさんと、その後輩であり映画ライターとして活躍中の加藤よしきさんの織りなす珠玉の怪談たちは、一度聞いたら記憶に焼き付いてしまう不気味なものばかりです。
2025.08.09(土)
文=むくろ幽介