私は、子どもが両親の離婚後も父母双方と関わり続けることのできる共同親権を目指し、政治とは縁遠い学者から滋賀県知事を経て参議院議員になった。私自身も離婚を経験している当事者である。民法改正が実現して大願成就ではないかと思うかもしれないが、そんな感慨とはほど遠い心境だ。改正法案の細部を点検していくとむしろ、不備が目立ち、憤りさえ感じた。
国会という、最終的に法律を確定させる立法府に身を置く人間として、不備を指摘して是正を求めた。ところが、今回の改正法案をめぐっては、しばしばまともな議論にさえならなかった。議論の発展を阻止したのは賛成派と反対派との激しいハレーションだ。結果、法案は“骨抜き”のまま国会で可決、公布となったのである。
私は、長らく原則共同親権を主張し、賛成派として行動してきた。もちろんDVや虐待などの例外は別である。反対派の主張は母子福祉である。現状では離婚後は女性が親権を取って子育てする場合が圧倒的に多いのだから、単独親権のままでいいという考えだ。一方、賛成派の主張は男女平等である。子どもは両親がいて産まれるのだから、たとえ離婚しても双方の親が子どもへの義務と責任を負っていくべきで、諸外国はすでにそのような法整備を行っているという考えだ。こうして可決された法案は、単独親権と共同親権のどちらでも選択できる内容となった。
一見、賛成派と反対派の妥協案として調整ができたように見えると思う。しかし、ここには恐ろしいほどの火種が埋め込まれている。試みに、離婚など考えられないご夫婦の間で話してみるといい。同じような考えでいると思っていたのが、微妙な違いがあることに気がつくだろう。子育て中の友人たちと話す場合は、注意深く行わないといけない。見解の異なりは相手への不信感に発展する可能性さえ含んでいる。
結婚、離婚、子育て、親の義務と責任に対する考えは、この国では「人それぞれ」がもっとも優先され、他人からは不可侵、立ち入り厳禁のタブー事項として取り扱われてきたのだ。その点では国会での審議も変わりはなく、パンドラの箱を開けたものだから収拾がつかなくなったのである。
2025.06.10(火)