親戚筋を頼って移った土地で遭ったイジメ
浅野 しばらくは、神戸とか津とか、親戚筋を頼って、いろいろな土地を転々とすることになりました。
近田 相当な苦労を重ねたんだろうね。
浅野 母の弟、つまり私にとっての叔父が、津の一身田というところでクリーニング屋を営んでたから、母はその手伝いをしてたの。ただ、就学前で幼かった私は、1年ほど、神戸の六甲の近くに住んでいた伯母に預けられた。
近田 そんなに小さい子と二人っきりじゃ、働きには出られないもんね。
浅野 母は、「ちょっと買い物に行ってくるね。順ちゃん待っててね」と言って神戸の伯母の家を後にし、津に行ったっきり一度も帰ってこなかった。それがショックで、毎日泣いてご飯も食べられなくて。「これじゃ順ちゃん死んじゃうよ」と気の毒がった伯母が母に連絡して、津で一緒に暮らすことになったの。
近田 それが何歳ぐらいのこと?
浅野 小学1年だったかなあ。津では、遊郭の跡みたいな建物の中の部屋を借りて住んでました。当時の私は、髪の色も明るかったし、田舎にしてはハイカラな格好してたから、妙に目立っちゃって、地元の子にはいじめられましたよ。
近田 ハーフという存在は珍しかったでしょう。
浅野 でも、私も、一方的にいじめられるだけじゃない。石を投げられたら、その石を拾って相手に投げ返してましたから(笑)。
近田 心が強いねえ。今の順子さんの片鱗がうかがえるよ(笑)。
2025.01.15(水)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖