近田 はいはい。渋谷の109の裏には、そういうラブレターを代書する店があったことから「恋文横丁」と名付けられた小道があったよね。
浅野 父からは、毎月お金が送られてきた。1ドルが360円という固定相場の時代だったから、結構いい生活ができたのよ。それを本町の銀行で受け取ると、不二家レストランで食事したり、デパートで買い物をしたり。楽しかったなあ。
近田 他に、当時のことで印象に残っている記憶はある?
浅野 うちの母が、ソシアルダンスのチャンピオンだったのよ。美容院に行って髪を美しく整えてから、弘明寺の商店街にあったダンスホールで、着物を着て踊りの練習をするの。私は、それを座って見てたことを覚えてる。
近田 粋な和洋折衷だねえ。
浅野 弘明寺の映画館もお洒落だった。アメリカにあるような造りで、内装は薄いブルーだったりピンクの色合いだったりしてね。ロビーには、ヴィヴィアン・リーだとか、当時の映画スターの大きな写真が張ってあって、私は、飽きもせず眺めてた。
「ファミリーヒストリー」で知った、連絡の途絶えた父の“その後”
近田 お父さんとお母さんは、ずっと連絡を取り合ってたの?
浅野 いや、いつの間にか、連絡は途絶えちゃった。
近田 となると、その後の消息は不明だったのね。
浅野 ずっとそうだったんだけど、2011年に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」の取材で、いろいろなことが明らかになったのよ。
近田 ああ、著名人の家系を遡る番組だよね。
浅野 あの番組、本当にすごいのよ。1年以上の時間とものすごい手間をかけて、詳細にリサーチを進めるんだから。
近田 その結果、どんなことが分かったの?
浅野 実のところ、父と別れた後の母は、ほとんど父のことを話すことがなかったんだけど、一度、「父にはインディアンの血が入っている」と教えてくれたことがあるのよ。
近田 その話、浅野忠信に関するトリビアとして、俺も耳にしたことがあるよ。なるほど、言われてみればネイティブアメリカンっぽい顔だよなあと思ってた。
浅野 でも、調べてみたら、そうじゃなかったのよ。父の両親は、それぞれ、オランダとノルウェーからの移民だった。先祖にネイティブアメリカンはいない。
近田 そうなんだ。今日の順子さんの三つ編みのおさげを見ると、ネイティブアメリカン説に一票を投じたくなるけどね(笑)。
2025.01.15(水)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖