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花森安治からの誘い

――当時のパンフレットは、藤城先生のデッサン力が感じられる紙面です。その頃に『暮しの手帖』の初代編集長である花森安治さんと出会うのですね。

藤城 花森さんが大橋鎭子さんと一緒に暮しの手帖社の前身となる「衣裳研究所」を設立したころだった。僕が新橋駅近くの小さな映画館の小部屋で編集の仕事をしていて、そのビルの2軒隣が花森さんたちの入居するビルだったんだ。

 花森さんに「どんなものを描いているの?」と聞かれたからパンフレットを見せて「これを全部やっている」と説明したら、とても驚いていた。それで花森さんが「来年、本を出そうと準備しているんだけど、一緒に作らないか」と誘ってくれたんだ。それが『暮しの手帖』だったんだよ。

 『暮しの手帖』の最初の創刊号では人形劇の「ピータァ・パン」を載せた。うちの庭で写真を撮ったんだ。その後に2号に向けた打合せを狭い事務所でやっている時に停電が起きて、影絵の話で盛り上がった。それで花森さんと、「じゃあ影絵をやろう」となって、第4号からは本格的に影絵に転換していくんだけどね。

 けれど、僕はもともと影絵を作っていた訳じゃなくて、影絵劇を作っていて、光を当てて動かしていたんだ。だから、『暮しの手帖』では、それを写真に撮って載せたんだよね。

 『暮しの手帖』は当時、そこまで部数が出ているわけじゃなかったけど、花森さんは歳が離れていたのにすごく面白いことを言ってくれるし、気が合ったんだと思う。僕みたいな者の感覚を参考にしてくれている部分もあったから。

 そう考えると、僕の物作りが偉いとかそういうのではなく、花森さんが僕を選んだのが偉いんだろう。偶然かもしれないけど、僕から何かを感じてくれたんでしょう。映画会社にいた頃も、僕を試写会に連れて行ったり、パンフレットを作らせたりしたのは、社長らしい。そう考えると、どの仕事も僕から「やりましょう」と言ったわけじゃない。いろいろとやっていると、必ずそういう道が拓かれて、いい人に出会えるんだ。

藤城清治(ふじしろ・せいじ)

1924年東京生まれ。1948年『暮しの手帖』で影絵の連載を開始。1956年には影絵劇『銀河鉄道の夜』にて、国際演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ協会連盟賞受賞。1983年には絵本『銀河鉄道の夜』がチェコスロバキアの国際絵本原画展BIBの金のりんご賞受賞。2013年には藤城清治美術館那須高原をオープンするなど、精力的な活動を進めている。

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次の話を読む「僕の個性は、真に生きていること」100歳の影絵作家藤城清治が見つめる“自然”

2024.12.26(木)
文=ゆきどっぐ
写真=榎本麻美