先ほどケンジに言った通りだ。グラフィティは、書きたいから、勝手に書いているもの、それだけじゃないか。書きたいのだろう、自分は。
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いつからか、ボムをしようと決意して出かけることは少なくなった。
全国各地にスローアップを残していた頃はグラフィティを書くためと旅に出ていたし、近所でのボミングの際も玄関でスプレーを振って、準備万端だと自身を確かめて靴を履いていた。そうした気負いがなくなっている。今のTEELには単純な基準があるのみだ。したい時は、いつでもボムをする。したくない時はしない。
TEELが勤めているホームセンター、エンジョイライフ成城の閉店時刻は二十一時だ。早番の日はもっと早くにあがることもできるが正社員であるTEELは事務作業を担当せざるを得ないことが多い。大抵は二十二時過ぎに退勤している。そうして店を出た時、背中から缶の中を球が転がる音が聞こえてくるかがボムをしたいかどうかの判断基準だった。
いつだってバックパックの中にはスプレー缶が仕込んである。本来は日によって聞こえる聞こえないなどないはずだが、TEELはそうは思っていない。辺りが静かで、自分が走るのに合わせてバックパックが上下に揺れている時でも、缶の存在を意識できないことはある。逆に、人の声や車の走行音の中で誘うように球が音を立てる時が確かにある。
ボムをするとなれば見える世界が変わる。世界の全てが自分の延長線上になる。あんな服を着たいと考えるように街の中に色を塗りたいところが見えてくるし、伸びすぎた髪や爪を切らなければと感じるように、以前書いて消されたタグやスローアップを書き直さなければと使命感に駆られる。心と身体が求めているからボムをしているのだ、と思えることが嬉しかった。
既にスポットになっているところに自身のスローアップを重ねることはしなかった。書いても良いとお墨付きをもらっているところにボムをして何の意味があるのだ。かといって、グラフィティが今現在ないところであればどこでもいいというわけでもない。感性とタイミングが嚙み合う、世界の空隙のような場所が確かにあって、それを見つけた瞬間に腕が勝手に走る。
2024.09.14(土)