自分が夫から馬鹿にされていることに傷付いてる

ーー2人は見た目も年齢も立場も性格も違う。普通ならリンクしそうにないキャラクターですが、実は「妻」とか「母親」とか「女」とか「普通」というものに縛られて、苦しんでいるのは共通しています。タイトルの『ボールアンドチェイン』は「自分を縛るもの」みたいな意味だと思っていたんですが、調べてみたら「妻」とか「女房」の侮蔑的なスラングでもあるそうで。これは一筋縄ではいかない作品だぞと身が引き締まりました。

 【あや】に関しては、最初は「普通の専業主婦のおばさん」という設定だったんです。でも、途中から「普通の専業主婦のおばさん」って、そもそもいるのかな? とわからなくなってきて。彼女が「消えてしまいたい」と思うようになったのは、夫が不倫してるからではない。そんなことはどうでもよくて、彼女は自分が夫から馬鹿にされていることに傷付いてるんですよ。望まない役割を演じてきて、自分の価値を見失っているんですね。

ーー家事や育児など、家族のケアを担う女性が家族から軽んじられるのは、実際あるあるなだけに、誰もいない家で【あや】が「ひとりだと何食べていいかわからないな……」と言うシーンは、リアルで身につまされます。

 ずっと家族のために料理をしてきたからこそ、自分が本当に食べたいものがわからない。自分以外の誰かのために生きて、自分が何が好きだったか、どんなふうに生きたかったか、自分のことがわからなくなってる。それって自分も含めて、誰にでもあることだと思う。

ーー「自分がわからない」という意味では、【けいと】が性自認に揺らいでいるという設定は、まさに象徴的です。

 【けいと】の方が、ある意味わかりやすいですよね。トランスジェンダーや性的マイノリティの人は【けいと】は俺たちの味方だって思ってくれるけど、【あや】の孤独はすごく見えにくい。それを「主婦の悩み」として扱うのではなく、掘り下げて考えたいなって思った辺りから、作品の方向性が見えてきました。

ーー作中では【あや】が、学生時代に中性的な女友達にほのかな思いを寄せているシーンが描かれます。実は【あや】も、性自認に揺らいでいたのでしょうか?

 そこはハッキリとは描いてないんですが、2巻では、若い頃の【あや】は男性に興味がなくて、病気で仕事を無くしていた時に、のちに夫になった男性に押されて結婚しちゃったんだけど、本当は結婚なんかしたくなかったって泣くシーンが出てくるんです。だから、実はそうなんだけど気付けないまま、なんで自分はこんなに孤独を感じるんだろうという状況に置かれてる。そういう人は結構いるんじゃないかと思います。

2024.06.17(月)
文=井口啓子