「それは言いすぎじゃない?」

「多少は盛ったけど、でも、それに近いことはみんな思ってるよ。俺だって先輩達の立場だったらそう思うし」

 秋穂はかけるべき言葉が見つからなかった。プロの料理人ではない上に、どうやら仁の働いているレストランは超一流で、おまけに父親がオーナーシェフだという。

「先輩達に意地悪されてるの?」

「全然」

 仁はきっぱりと首を振った。

「みんなプロだから……正直言って、俺なんか眼中にないさ。でも、苦々しく思ってるのはビンビン伝わってくる」

「あのう、でも、マーボー豆腐で有名なちんけんみんさんの店……せんはんてんだっけ? あそこは息子の陳けんいちさんが二代目よね」

「陳建一さんは中華の鉄人だよ。すごい料理人だもん。誰も文句言わないよ」

 一瞬、料理人と〝鉄人〟の組み合わせに違和感を覚えたが、それには触れずに秋穂は考えを巡らせた。

「ああ、そう言えば長く続いている料亭なんかは、オーナーシェフは少ないわね。経営は親から子へ受け継いで、板前さんは次々替るのよね」

「俺はレストランを経営したいんじゃない。お客さんのために料理を作りたいんだ」

「無責任を承知で言うけど、お父さんの店は先輩の誰かに譲って、あなたは独立して別の店を持ったらダメなの?」

 仁のけんに悩ましげなシワが寄った。

「俺もそう思う。俺が継いだら、親父の築いた名声に泥を塗るかも知れない。親父も頭では分ってる。ただ、親父は俺をできあいしてるんだよ」

「それは……幸せなことじゃないの?」

「親父が『リストランテ・リッコ』のオーナーシェフじゃなければね」

 リッコとはイタリア語で豊かさの意味だという。

「すごい人気のある店なのね」

「超人気店だよ。予約が取れないので有名。ミシュランガイド東京版が発売されて以来、十三年間にわたって二つ星を獲得してる。イタリアンで二つ星取ってる店は東京で三軒しかないんだ」

 秋穂はまたしても頭の中で「ミシュランガイドに東京版って、あったかしら?」と考えたが、口に出さなかった。

2024.06.12(水)