だまされたと思って一回挑戦してみてよ。絶対に美味いから」

「明日、鰺買ってこようかしら」

 秋穂はいつの間にか仁の熱意に引っ張られ、チャレンジ精神が頭をもたげてきた。

「ホントに?」

「うん。なんか、やる気出てきた」

「じゃあ俺、明日また来るよ。責任上」

「あらあ、ありがとう。待ってます」

 口ではそう言いながら、頭の中では「またとお化けは出ない」という居酒屋の常識を思っていた。しかし、それとは別に、仁に対する好意と尊敬の念は大きくなっていた。

「それにしてもお客さん、若いのに大したもんだわ。さすがにちゃんと料理の勉強してる人は違うわね。あっという間に新しいメニュー、いくつも考えて」

「それほどのもんじゃないよ」

 仁はけんそんしたが、決して悪い気はしなかった。秋穂の態度がしんで、決して口先だけでお世辞を言っているのではないことが分ったからだ。

「お客さんみたいな先生がいたら、世の奥さん達はきっとすごく助かると思うわ」

 秋穂は自分の猪口に酒を注ごうとしたが、すでに空っぽで滴が垂れただけだった。

「お客さん、お礼におごるから、もう少し飲みません?」

「良いよ。俺も飲みたかったから、一緒に飲もう」

 仁の高揚した気分が伝わってきて、秋穂も嬉しかった。

「すみません。遠慮なくご馳走になります」

 秋穂は徳利に酒を注ぎ足した。

「世の中の奥さん達、毎日大変なんですよ。栄養のことも財布のことも考えて、冷蔵庫の中身と特売のチラシ見比べて献立考えるのって、しんどいんです。私もこの商売始める前は、お勤めしながら主婦やってたから……」

 薬罐の湯の中にそっと徳利を沈めた。

「お客さんみたいな知合いがいて、相談に乗ってくれたら、みんな大助かりよ。材料を無駄にしたり、献立がマンネリになったりってこともなくなるし」

 仁は何かを思い出すように首をひねった。

「うちのお袋も苦労してたのかなあ」

「そりゃあ、してましたよ、きっと」

2024.06.12(水)