目の前に置かれた皿から立ち上る湯気を、仁は思い切り吸い込んだ。台湾のようでありエスニックのようでもある、複雑で食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐった。
箸で麺をすくい、火傷しないように注意してすすり込むと、香りは豊かに膨らんで喉から鼻に抜けた。高菜の塩気とオリーブのコクにディルの爽やかさと生姜のスパイシーさが混ざり合い、麺と渾然一体となって旨さを押し上げている。
「これ、うまい!」
仁は夢中で麺を口に運び、またたく間にあらかた食べてしまった。その様子に秋穂はまたしても頬が緩んだ。
「お水、どうぞ」
仁は口の周りをおしぼりで拭くと、コップの水を飲み干した。
「今までこんなの、食べたことない。すごいタレだね」
「あら、嬉しい。今度友達に会ったら言っとくわ」
仁はもう一度店の中を見回した。
「ねえ、女将さんは魚の料理はやらないの?」
「私、魚下ろせないのよ」
「店の人に頼めばやってくれるよ。それに、刺身や冊で買って来るのもありだし」
秋穂は気乗りのしない声で答えた。
「うちで海鮮料理食べようってお客さんもいないしね。それに、ただ買って来たもの出すだけって、ちょっと抵抗あるわ」
「そこは一手間だよ」
仁は空になった混ぜ麺の皿を指さした。
「例えばこのタレ、刺身にかければ立派な一品料理になるよ。題してエスニック風カルパッチョ。生姜が入ってるから、生姜で食べる鰺とは相性が良いし、鯛や平目みたいな白身とも合うな。ブリやカンパチみたいな脂の乗った魚もイケると思うよ」
「……カルパッチョ」
秋穂は頭の中で、色々な刺身の上に黒オリーブと高菜のタレをかけてみた。言われてみれば、どれも美味しそうだ。
すると、釣ってきた魚をさばく正美の姿が目に浮かんだ。
「鰺と言えば、昔はタタキとフライが名物だったのよ。釣ってきた鰺をさばいてフライにしたのは、冷凍とは完全に別物よね。身がふっくらして、脂が乗って、旨味が濃くて……。タタキも懐かしいわ。正統派も人気だったけど、味噌入れてなめろう風にしたり、茗荷を刻んで梅肉とゴマ油で和えてみたり、アレンジレシピも好評だったのよね」
2024.06.12(水)