「うちとお客さんの行くような店はレベルが違うわよ。こっちは完全なしろうと料理で、私も料理の勉強なんかしたことないし」

 そこまで言って、秋穂は少ししんみりした気持ちになった。

「でもね、主人が生きてる頃は、もっとちゃんとした料理を出してたのよ。釣ってきたばかりのきの良い魚をさばいて、じゃんじゃん出してたから」

 壁に貼った石鯛の魚拓を指さした。

「あの人、釣りも好きだったけど魚も好きだったのよね。川魚より海の魚の方が美味いって、渓流釣りはほとんどやらなかったわ。フライフィッシングはスポーツだからって、全然」

 猪口に残った酒を飲み干し、先を続ける。

「主人は魚を下ろすのがくてね。鯛でもカワハギでもオコゼでも、なんでもござれ。中骨は唐揚げにしたり、煮付けにしたり、アラ汁にしたり。卵も白子も内臓も無駄にしないで、塩辛作ったりしてたのよ。この店始めたのも、釣ってきた魚を無駄にしたくない、みんなにごそうしたいって、それが動機なの」

 秋穂は遠くを見る目になった。魚拓を通して、正美の顔がほの見える気がする。

「うちの主人見てて思ったわ。料理人って、美味しいものを食べるのが好きで、人に食べさせるのも好きなんだって」

「うん、絶対にそう」

 大きく頷いた仁に、秋穂はますます親しみを感じた。

「お客さんにも主人が生きてる頃に来て欲しかったな。そしたら、魚だけは活きの良いのを食べさせて上げられたのに」

「でも、女将さんの料理もイケてるよ。何より待たせないでさっと出てくるのが良いな」

「待たせるような料理じゃないもの」

「そこが良いんだよ。ザ・居酒屋って感じで」

 鍋の湯がふつとうしたので、秋穂は中華麺をほぐして入れた。茹で時間はおよそ二分半だ。

「すぐ出来ますからね」

 茹で上がった麺をザルに取り、水気を切ってから皿に盛って黒オリーブと高菜のタレをかけると、両手に菜箸を持って二刀流で素早く和えた。

「はい、どうぞ」

2024.06.12(水)