あるいは、自分が養女で、母は実母ではなかったと知る重大な事件。高峰はあっさりと受けとめるが、親子三人の仲はチグハグになる。その果ての両親のケンカ。どう書いても重い愁嘆場を、母親がきざんだタクワンがつながっていたエピソードを織り込むことで、読者をほっとさせる(「つながったタクワン」)。ここには天性の作家がいる。易々と涙で曇らない目は、いつだって強く感受し、あざやかに人生の一断面を記憶する。そこに、文章家・高峰の個性と生理が息づく。真似手のいない独自の文章だ。

 珠玉の文章ぞろいの本書から、一編だけ挙げるとしたら、私は「縫いぐるみのラドン」を取る。高峰・松山夫妻が滞在するパリへ、花柳章太郎夫妻と伊東深水親子がやって来る。滞在中の様子をユーモラスに描いたのが「縫いぐるみのラドン」だ。

 タイトルは、現地で両巨頭の雑用に追われる高峰が、ついにアタマにきてつけたあだ名が「ゴジラ」(花柳)と「ラドン」(伊東)ということから。ともに怪獣の名、というのがおかしい。以後、この戯画的なあだ名を駆使して二人を描くことで、仰ぎ見る実績を持つ両巨頭の姿が、なんとも微笑ましくスケッチされていく。

 そして、二人がすでにこの世の人ではないことが読者に告げられるのは最後近く。再び「ラドン」の滑稽なエピソードに触れておきながら、ラストの一行は「縫いぐるみのラドンのような伊東先生を思い出す」で締めくくり、決して敬意を忘れない。あざやかな文章術だ。

 そこで沢木耕太郎が言ったことを思い出す。

「『文章のうまい女優』がいるのではなく、単にひとりの『文章家』がいるだけなのだ」

 高峰秀子は、木下惠介の「衝動殺人 息子よ」(一九七九)にひさしぶりの映画出演をし、そこであっさりと女優業にピリオドを打つ。そのあとは、『台所のオーケストラ』『コットンが好き』など、随筆家として次々と著作を発表していった。それは、松山善三氏との生活から生まれたものだった。日々を大切に生きる。家事を含め、日常のこまごまとしたことを疎かにしない。そこから数々の名随筆が紡ぎ出されたのだ。名女優はまた、生きる名人でもあったのだ。

精選女性随筆集 石井桃子 高峰秀子(文春文庫 編 22-8)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.05.19(日)
文=岡崎 武志(書評家)