高峰秀子もあらぬ疑いに悩まされたことを打明けている。とくに夫が脚本家だったために、松山善三氏が代筆しているという噂が立った。

 随筆家としての高峰の代表作となった『わたしの渡世日記』解説で、沢木耕太郎が、あまりに巧い文章に同様の疑いを持ったことを告白している。しかし、著作を何冊か読んだのち、こう考えるに至った。

「ここには、『文章のうまい女優』がいるのではなく、単にひとりの『文章家』がいるだけなのだと認めざるを得なくなったのだ」

 疑いのない例証を一つ挙げれば、『わたしの渡世日記』にこんな一節がある。

「人間、生まれてから死ぬまで、ただのんべんだらりと『食っちゃ寝』をくり返し、単なるウンコ製造機で終わる人はいないだろう」(下巻/「勲章」)

 もし、代筆者がいたとしたら、この尾籠(びろう)なカタカナ三文字を使うことなどありえない。本書のなかでも、この三文字は平気で投入されている。美人女優にありがちな、ある種の媚態や、底の浅い抒情、スター意識に彩られた鼻持ちならない自意識過剰が、高峰の文章にはいっさいない。直截にして晴朗、乾いた小枝をポキポキ折るような文体は、本書を通読するかぎり、高峰の生きかたそのものという気がする。

 学齢に達したときには「天才子役」としてもてはやされ、小学校へはロクに登校できなかった高峰は、学業に憧れながらついに立派な学歴は持てなかった。しかし、高峰のエッセイを読むかぎり、文章力と学歴はまったく関係ないと言わざるをえない。

 たとえば、子役時代を回想する、撮影所へ向う早朝の電車内での描写などはまったく見事だ。

「私はうしろ向きになって窓ワクにつかまり、首から紐でぶら下げたゴムの乳首をチュウチュウと吸いながら、窓外に流れる町並みを眺める。品川の手前あたりで、やっとオレンジ色の太陽があがって来る」(「猿まわしの猿」)

 まさに、これは映画の一シーンのように読める。印象を的確に言葉にできること。見たこと感じたことを、写真を撮るように、瞬時に脳と心に焼き付けられること。これが、文章家・高峰秀子の武器であった。

2024.05.19(日)
文=岡崎 武志(書評家)