「貴殿が、垂氷郷の雪正殿か。このように直接言葉を交わすのは初めてだが、前々から話をしたかった。後の宴で、同席出来たら嬉しく思う」

「はは! ありがたきお言葉でございます」

 流石は宗家の八咫烏である。自分よりもずっと若年である青年に圧倒されるのを感じながら、雪正は再び頭を下げた。その様子を好ましそうに見守っていた当主は、顎鬚をしごき、補足するように口を開いた。

「雪正は、このわしが見込んだ出来物ですからな。きっと、これからの長束さまにとっても、お力になれる事と思いまする」

「それは重畳」

「何より、垂氷には優秀な子ども達がおりまする。私も本当に、将来が楽しみで……」

 段々と、当主の言葉尻が小さくなっていく。とうとう雪哉の顔に気付かれた、と雪正は思ったが、背後から聞こえるすすり泣き声に、そうではないと知って、ぎょっとなった。

「おい。どうしたのだ、雪哉。一体何を泣いておる?」

 困惑した当主の声に、堪らず振り返る。すると次男坊は背中を激しく震わせ、許しも無く勝手に顔を上げた。

 止める暇もない。

 あざだらけで腫れ上がり、なおかつ涙と鼻水で酷い事になった顔が、尊い方々の目の前にさらされる。

 一気に、上座の空気が変わったのが分かった。

「雪哉、その顔はどうしたのです」

 真っ先に声を上げたのは、当主の奥方であった。当主よりも雪正の子ども達と顔を合わせることの多かった分、雪哉の惨状に平静ではいられなかったようだ。

「これはその、奥方さま」

「僕が悪いんです。僕が、『山烏』の分をわきまえなかったから」

 雪哉は泣きじゃくりながら、雪正の声を遮るように喚いた。

「本当にごめんなさい! でもこれ以上、僕の家族を虐めないで」

 呆気に取られる一同の前で、雪哉は弾かれたように立ち上がり、上座にそっぽを向いて走り出した。そして、広間の隅に向かって一直線に駆け寄ると、滑り込むようにしてその場に平伏したのだった。

「何でもするから許してください。ああ、でも、もう痛いのは嫌だよう」

2024.04.15(月)