
編集部注目の書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」。今回は、業界最注目の川柳人・暮田真名さんです。初のエッセイ集『死んでいるのに、おしゃべりしている!』を刊行された後、実は「死の3ヶ月」を過ごされていたという暮田さん。「死んだらいいのにね」という激しい自責の感情は、一体いつ、どこから湧き出てきたものなのか?
「死んだらいいのにね」が始まった。
「死んだらいいのにね」は、わたしの頭の中で時折再生される声である。「死んだらいいのにね」が聞こえてくるのは、決まって落ち込んでいるときだ。
九月半ば、初のエッセイ集を刊行した。わたしは苛烈にエゴサーチをした。献本した人以外からの反応が見当たらなかった。発売から一週間足らず、まだ書店にも行き渡っていないのだから、当たり前である。それなのに、激しく落ち込んだ。「死んだらいいのにね」がやってきた。
自責への対処はわたしの大きな関心事だ。よく知られるワークに次のようなものがある(坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』など)。自分で自分を罵倒しながら産まれてくる赤子はいない。いま、あなたが自分を否定している言葉は、生育過程で出会った自分を否定する他者から学んでしまったものだ。その場面に遡り、信頼できる第三者に自分を守ってもらうイメージをすることで、自責の言葉に境界線を引けるようになる、というのだ。
実は、わたしはこのワークがいまいちピンとこなかった。人に「死んだらいいのにね」と言われた心当たりがないのだ。そもそも、「死んだらいいのにね」の「ね」ってなんだろう?
「死んだらいいのにね」に頭が埋め尽くされるのには慣れっこだが、「ね」の謎に気付くのは初めてだった。「死んだらいいのに」と言われているのはわたしだ。でも、「ね」という呼びかけの相手はわたしではない。いったい、誰に向けた言葉なのだろう。そして、「死んだらいいのにね」という声の主は誰だろう。
小学校四年生のとき、担任の先生がわたしに向かって「なんて顔をしているの」と叫んだ。授業中だった。わたしは椅子に座っていて、おそらくつまらなそうな顔をしていただけだった。流行りのテレビ番組を知らず、教室から浮いていたわたしがいじめられる理由としては十分すぎるほどだった。先生の悲鳴は一瞬にしてわたしを「迫害される側」に変身させた。
もう、こんなに恐ろしい目には遭いたくない。もしやり直せるなら、今度はせめて、「迫害する側」でありたい。子供のわたしは強く、そう、願った。
先生の怒りが屹立する教室で、わたしは「迫害されるわたし」から抜け出して、先生の足元に駆け寄る。そして跪いて媚態をつくり、「迫害されるわたし」を指差してこう言うのだ。
「死んだらいいのにね」。
「死んだらいいのにね」という声の主は、わたしだ。わたしはずっと、先生に向かって話しかけていたのだ。
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- 文=暮田真名
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