わたしは、「やめよう」のほうを生きてみたくなった。
あれから十八年が経っても、すべての行動の指針が「先生を怒らせないように」であることに変わりはなかった。意外に思われるかもしれないが、髪の毛を奇抜な色にすることだってそうだ。小学校の教室に髪の毛がピンク色の人はいないから。小学校の教室にいない人になれば、先生からは見えなくなる。「不可視の存在になる」というわたしの生存戦略は、わたしの生を、どんどん細い道へと追いやった。
次はどうやって殺されるのか、常に予想して、身構えていなければいけないから、大人になったわたしには先生の代わりが必要だった。Xはその役目を十分に果たしてくれた。どういう振る舞い、どういう発言が、誰を怒らせるのか。Xを見ていれば、間違えることはないと思った。
わたしを強迫的なエゴサーチに向かわせたのは、決して、「褒められたい」という気持ちばかりではなかった。「誰かに怒られるのではないか」「炎上するのではないか」と気が気ではなかったのだ。では反応が無ければ安心かといえばそうではない。無反応は、先生の「黙殺」だと感じた。
わざわざ口に出すまでもない、あんなの、だめに決まっているでしょう。
ねえ、先生、あんなの、だめに決まってるよね。さっさと、死んだらいいのにね。
一週間とすこし経つと、ぽつぽつと、感想ポストが届きはじめた。エッセイで初めてわたしの本を手にとって、「川柳をもっと知りたくなった」と言ってくれた人もいた。
「軽はずみにコメントできなくて、Xではポストしていないけれど、周りの人にすすめています」というDMももらった。
大好きな川柳人の先輩は、お手紙で熱い感想を送ってくれた。御年82歳、そもそも、Xのアカウントを持っていないのだ。
反応が少なかったのは、単純に、まだ読まれていなかっただけだった。悪意があって「迫害」していたわけでも、「黙殺」していたわけでもなかった。
「巨きな一人の沈黙」が、「小さな複数人の声」に、解けていった。
ところで、先生は、わたしを迫害することを享楽していたのだろうか。そうではないと思う。ただ、わたしを殺さなければ殺されると思うほどに、不安だったのだろう。ひん曲がった口角、寝ているのか起きているのかわからない重たい瞼、その目をさらに押し潰す頬の肉、それらを備えたわたしの顔が、教室の紊乱者に見えたのだ。子供のわたしには「殺す神」だった先生は、いまなら、「不安に取り憑かれた人間」だったとわかる。
「不安に取り憑かれた人間」が「殺す神」のように振る舞える場所が、たとえば小学校の教室とか、Xとかなのだろう。いまや、Xは「不安だから殺す」の声に溢れている。
さらに悪いのは、Xは「世間」のふりをするということだ。顔が見える人間の集まりが「世間」を作るということを忘却させ、不安の叫びのハウリングを「世間」だと思い込ませようとする。
「不安だから殺す」のが人間だとしたら、「そんなことはやめよう」と努力してきたのもまた、人間であるはずだ。
わたしは、「やめよう」のほうを生きてみたくなった。人間の理性を、建前を、綺麗事を、信じてみたくなった。誰もいない教室で「死んだらいいのにね」と繰り返していた子供のわたしを、助けるために。
そのとき、わたしが向かうべき場所はもう、Xではないのだと思う。
暮田真名(くれだ・まな)
1997年生。「川柳句会こんとん」主宰。「石になったの?」「当たり」「砕氷船」メンバー。NHK文化センター青山教室で「青山川柳ラボ」講師、荻窪「鱗」で「水曜日のこんとん」主催。川柳アンソロジー『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)で最年少の川柳人として紹介された、Z世代のトップランナー。2022年に発売された第一句集『ふりょの星』(左右社)は、刊行されるやいなや注目を呼び、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」ほか多数のメディアで紹介された。2023年には〈現代川柳〉の入門書『宇宙人のためのせんりゅう入門』(同)も刊行。ほかに『補遺』『ぺら』(私家版)がある。
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
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- 文=暮田真名
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