吉行淳之介の小説を実写映画化した『星と月は天の穴』で主演を務めた綾野剛さん。「精神的な愛の可能性」を探求する本作で、小説家という役どころをどのように演じたのでしょうか。
役作りへの姿勢についても伺いました。
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セリフによって想いを伝えるということに……
――荒井(晴彦)監督と綾野さんは2度目のタッグです。絶大な信頼関係があり、監督が「監督の俺より役について考え抜いてくる役者」だと、綾野さんのことを絶賛されていたと伺いました。
そんなお褒めの言葉をいただき、光栄です。
――綾野さんは作品に合わせて肉体改造もされています。本作では精神的な作り込みのほうが多かったのではないでしょうか。
脚本が完璧ですので、書かれたセリフに対して、いかに余分な情報を削ぎ落とすかということに、注力しました。
たとえば、「昭和40年代の40代の小説家」という設定だと、一般的には「痩せている」「無口」というイメージを思い浮かべるかもしれません。でも、本作においてはそのイメージも余分な情報ととらえました。
「矢添克二」というある種の“記号”に対し、一番スタンダードな肉体を作り、映画をご覧いただいた方の印象に残らないよう、特別な肉体的特徴を持たない、「中肉中背の男性」像を意識しました。
――声の作り方も特徴的だと感じました。人間の肉声ではなく、機械音のような画一的な印象を受けます。
昭和40年代当時のニュースやラジオ放送を聴いてみると、一様に高音が強く平坦で、声に力がある時代だと感じました。それはマイクの性能によるものとも推測でき、低音が拾えなかったのではないかと思います。
――なぜ無機質な声にしようと思われたのでしょうか。
本作は、目で見る映画ではなく、耳で聴く映画だとも思えたのです。仮に目を閉じて映画を観たとしても、キャラクターの表情が見えてくるように脚本が書かれているので、誇張された演技や抑揚をつけた話し方などはすべて“台詞の邪魔”になってしまいます。ですから、セリフ以外の肉体表現や表情などは排除し、機械音のような無機質な声で淡々と台詞を読むことに専念しました。
――映像付きの「Audible(オーディブル)」だと思って作品を観ると、おっしゃっていることがよく分かります。
本作では、役者がどんな表情でどんな肉体的表現をして、という方法ではなく、抑制された感情表現の中で、セリフによって想いを伝えるということに、チャレンジしました。
最近は、セリフよりも豊かな表情や派手なアクション、VFXなど画と作る作品も多く、特に配信系のプラットフォームなどでは、没入感を得るために必要な演出が行われています。
一方で昭和40年代のテレビ放送は、耳で聴くラジオの名残だったのかもしれませんが、よりセリフに重きを置いていたように感じます。その時代を声で表現できたらと。










