「そんな馬鹿な!」

 今さら悲鳴を上げたところで、ここまで来てしまった以上、何を言っても手遅れである。

 話している間に、二人は外へと面している渡殿へと出てしまった。板張りの床の上を混乱したまま歩き続け、やがて雪哉は澄尾と共に、ひとつの離れの前で足を止めた。

「殿下。新しい側仕えを連れて参りました」

「入れ」

 返答を聞き、澄尾は扉を開ける。

 そこで雪哉が目にしたのは、文机に向かっている、若宮殿下の後姿だった。

 若宮の目の前には、大きく窓が開け放されている。

 外からの淡い光の中で、若宮の姿は、黒く浮かび上がっていた。

 単に、薄紫の薄物を羽織っただけの背中には、うなじあたりで適当にくくった黒髪が、鮮やかな流れを描いている。

「やっと来たな」

 やや高めの、凜として、よく通る声である。

 さりさりと微かな音を立ててから、若宮はふう、と顔を上げた。どうやら書きものをしていたらしい。筆を置くと、軽く首を回し、こちらの方へと振り返った。

 ――若宮は、とても美しい青年であった。

 怜悧な美貌は、ともすれば霊妙な香気が匂い立つようですらある。

 十六、七という話だったが、年の割には背が高く、ほっそりとした体つきをしている。 兄である長束が、体格も顔立ちも男らしかったのに比べると、若宮の見目はひどく華奢であった。白い面は、まるで女のように優しげですらある。

 だが、その眼光の強さが尋常ではない。

 威圧感のある視線に射抜かれて、雪哉はこっそり唾を飲んだ。

「……お初にお目にかかります。垂氷の雪哉です」

 気圧されているのを隠して、あえてそっけなくお辞儀をすれば、淡々と頷かれる。

「垂氷の雪哉か、なるほどな。とりあえずは、よろしく頼もう」

 軽く笑ったような気配がしたが、実際、若宮の表情はほとんど動いていない。

「早速だが、今から用事を申しつけても構わないか」

 丁寧な言い方をされて、雪哉は若干それを意外に思った。

「はあ。構うも構わないも、それが仕事ですからねぇ」

2024.04.15(月)