「じゃあな、雪哉。頑張るのだぞ」
「はい。父上もお元気で」
ここに来るまでの間に言いたい事は言い尽くしたので、別れは、存外あっさりしたものであった。
その後、雪哉は専用の居室を与えられた。自ら部屋まで案内してくれた、喜栄の自室にも劣らぬ立派な部屋である。
そこには、官服など、宮廷生活に必要な品がすでに届けられていた。これらは、あらかじめ垂氷から送ってもらった物である。物品の確認をしている最中、ふと、浅葱色の官服の間に、畳まれた紙が挟まれてあるのに気が付いた。
「おやまあ。母上ったら」
淡い緑の、ぼかし模様が入った紙を広げると、ほのかな白檀の薫りが鼻腔をくすぐる。見れば、育ちの良さが表れたような綺麗な字で、雪哉の身を案じる言葉が綴られていた。
――くれぐれも体に気を付けてください。何かあったら、すぐ連絡を寄越すよう――
「『雪哉が、無事にお役目を終えて、元気で帰って来られるよう、母は祈っております』」
声に出して最後の一文を読み、雪哉は苦笑を浮かべた。
浅葱色の官服を広げて見る。
礼装を、ずっと簡単にした短めの袍である。動きやすいように両脇は縫い付けられておらず、袖口には、袖括りの緒が垂れている。縫い目は細かく、丁寧に仕上げられているのが分かった。
この官服は、彼女が手ずから縫ってくれたものである。
「ありがとうございます、母上」
官服と手紙を捧げ持つと、今は遠い育ての母に対し、軽く礼をしたのだった。
翌日、雪哉は朝廷へと入った。
北家の朝宅から朝廷までは、なんと、車が用意されていた。大きな馬が二羽、上と前に繫がれた飛車である。馬そのものに騎乗する事は度々あるが、車に乗って飛ぶなど、雪哉は考えてもみなかった。
同じく朝廷へと向かう喜栄に続き乗り込んだものの、居心地が悪くて仕方がない。派手に音を立てて浮き上がった車体に、情けない声を上げたのはご愛敬だった。
一方の喜栄は慣れたものである。だが、飛車よりも、車内に落ちた沈黙の方が気になるらしく、雪哉への態度を、決めかねているようにも見えた。
2024.04.15(月)