不満を隠そうともしない息子に、雪正はいらいらと唇を舐めた。
「やってみる前からぐだぐだ言うな。いいか、その耳の穴かっぽじってよーく聞けよ。一年経たずに、自分から音を上げて帰って来たりしてみろ。勁草院に叩きこんでやるからな」
そこでその腐り切った性根を入れ替えてもらえと、低い声で言い捨てる。
「……は?」
雪哉の顔から表情が消えた。
勁草院とは、山内衆と呼ばれる宗家近衛隊の養成所である。
近衛隊の養成所であるからには、もちろん恐ろしく厳しい訓練が待っている。山内衆に選ばれれば素晴らしい名誉であるが、実際に卒業して山内衆になれるのはごくわずか。その他大半の者は、修業に耐え切れずに落伍者という汚名を着る事になるか、一般兵卒の中に放り込まれ、こき使われるかのどちらかであると聞いている。
ちなみに、勁草院での生活がいかに苦しいかについては、かつて山内衆だった雪正の弟が、酒を飲みながら語るのを、雪哉も嫌というほど聞かされている。
信憑性が、嫌な現実感を伴って雪哉の肩を叩いていた。振り返ったら終わりである。
「あの、それだけは本当に勘弁してください。あんな所に入れられたら、僕、冗談でなく死にます」
切羽詰まった雪哉の声に、兄と弟がそっと顔を背けた。話が聞こえたらしい長束が、小さく苦笑しているのが目に入る。だが、雪哉の兄弟達も長束も、雪哉に味方しようとはしなかった。
「分かったら、一年は耐え忍ぶんだな。死ぬ気でやれば八咫烏、案外何でも出来るものだ」
――かくして、垂氷郷のぼんくら次男の、宮廷入りが決まった。
具体的な日程やら準備やらの相談を始めた周囲に紛れ、雪哉は、泣くように両手で顔を覆った。
「ちくしょう……ちょっと、やり過ぎた……」
新年の挨拶があってから、二月が経った。
雪哉は父親に連れられ、中央へとやって来ていた。
垂氷から中央までは、鳥形で飛ぶか、『馬』に乗るかしなければならない。
2024.04.15(月)