だが八咫烏は、基本的に鳥形になることを恥とする生き物である。宮烏は一生を人形で過ごすし、生活に余裕がなくなり、烏の姿となって働かなくてはならない者以外は、なるべく人形で過ごしたいと思うのが普通であった。それこそ、鳥形になって他の八咫烏を乗せるなど、『馬』と呼ばれ、勝手に人の姿が取れないよう契約した、最下層の者達の仕事なのである。
雪正も、自ら鳥形になって飛ぶ気はなく、初めから馬を使うつもりだったようだ。郷長屋敷で面倒を見ている馬に乗せられて、雪哉は中央に向かって半日、空を飛んだ。
郷長としての仕事がある父や兄とは違い、一生そんな所に足を踏み入れる予定の無かった雪哉である。中央の山が見えて来た時点で、既に帰りたくて仕方が無かった。
そんな息子の心はいざ知らず、父は堂々と馬を関所へと乗り付けた。
この関所は、北領の住人が中央に入る際、必ず通行証を頂かなくてはならない場所である。広く掃き清められ、かっちりした柵に囲まれたそこに舞い降りると、すぐに下男が駆けつけて馬の轡を取った。
顔に巻いていた風除けを取ってから、雪哉は父の後に続いて鞍を下りた。
「証文はきちんと持っているな?」
「落としてしまいたかったですけど、かろうじてまだ持ってます」
ならば良しと雪正は頷く。手綱を下男に渡し、慣れた様子で荷物を背負って歩き始める。雪哉は父と共に、垂氷の郷長屋敷と良く似た建物に入り、記帳と証文の確認など、簡単な手続きを済ませた。
再び馬の所に戻った時には、馬の首には白の縁取りがされた黒い懸帯が巻かれていた。裏地には、白糸でびっしりと郷長の身分を証明する文章が刺繡されている。これが無い状態で飛べば、無断で中央に入った廉で地上から射られても、文句は言えないのである。
馬の世話をしていた下男は、飼い主がこちらに向かって来るのに気付くと、慇懃に話しかけて来た。
「このまま飛んで行かれますか?」
「いや。息子に、城下を案内しながら向かうつもりだ。悪いが、あちらに届けておいてもらえるか」
2024.04.15(月)