「おや、姫さまは、馬を見るのは初めてでございますか?」

 大烏の轡を取っていた壮年の男が、にこにこと姫に笑いかけた。

「私、飛車に乗るのは初めてだもの。絵巻では見たことがあったけれど、あれは四つ足の獣で、このような鳥ではなかったわ」

「ああ、それは神馬でございますね。もう、何百年も前に絶えてしまいましたから、今ではこちらが、馬と呼ばれておるのです」

「噛んだりはしないの?」

「気性が荒いものもおりますが、こいつは大人しいものでございますよ。姫さまがお使いになると聞いて、とっておきの駒をご用意しました」

 うこぎは苦笑して、男をやれやれと指し示した。

「この者は、長く厩を管理している者でございますによって。姫さまが馬に興味を持たれて、嬉しいのでございましょう」

 その通りでございますと、男は心底嬉しそうに頷いた。

「登殿なされる姫さまを中央に送り届けるなど、一生に一回、あるかないかの名誉でございますれば。使用人一同、感涙を抑えられませぬ」

 それに答えようと口を開きかけた時、姫さま、と、やわらかな声音で、うこぎが二の姫を呼んだ。手招きされて中庭に向かえば、そこには、使用人達がずらりと並んでいた。

「姫さま、此度のご登殿、真におめでとうございます」

 声を揃えて頭を下げたのは、今日まで世話になった下男や下女達だった。見ればその面持ちは、寂しがるような、口惜しがるような顔から、信じられない幸運に上気する顔まで、さまざまである。

「あなた達……」

 言葉が出なくなった。

 父があのような言い方をしたものだから、あまり、登殿がめでたいことであるとは思っていなかった。皆がこのように喜んでくれるのが嬉しくもあり、なんとなく後ろめたいような気もした。

「あの、皆、ありがとう」

 でも、きっとすぐに戻って来ると思うから、と言えば、そのようなことを仰らないで下さいと、下女達が口々に言い募った。困った顔をした二の姫を見て、それまで口を挟まなかった下男が声を上げた。

2024.04.10(水)