窓に近付いたことで、男の顔が、なんとなくだが分かるようになった。

 尊く、秀でた面持ちをしているようである。はっきりとした光が当たったのは口元までだったが、女のような肌の色と、薄い色の形の良い唇は、高貴な生まれを思わせるに十分な、気品というものを持っていた。

「先程からとても良い琴の音が聞こえていたから、来てしまった」

 顔を見返せば、表情に乏しいながらも、どうやら笑ったらしいと分かった。

「とても上手だ」

 男の声は掠れて静かだったが、同時にとても柔らかかった。男の素性が知れない以上、邪険に対応することは出来なかったし、そうでなかったとしても、なんとなくこの人に対して冷たくするのは、はばかられるような気がした。

「お褒めにあずかり、嬉しいですわ」

 少しだけ声が上ずってしまったが、こぼれた微笑は本物だった。それに応えた男の笑みが、何故か頼りなげに見えたのが不思議だった。

「それで、あなたのようなひとが、どうしてこんな所に?」

 ここは、入る者の制限がされている宝物庫だが、と言われ、あせびは途端に青くなった。

「ほ、宝物庫だったのですか」

 藤波はそれを知っていて、あえて言わなかったに違いない。道理で、このような楽器があるわけだ。自分が無遠慮に触っていたこれも、宗家の宝の一つだったのだろう。申し訳ありません、と、あせびは悲鳴を上げるように床に伏した。

「あの、珍かな楽器があると聞いてつい……! 軽率でした、お許し下さい」

 いやいや、と、慌てたように男が手を振る。

「別に、咎め立てしようというのではないから。それどころか、久しぶりに良い音を聞かせてもらった」

 礼を言いたいくらいだと笑い混じりに言われ、体の奥から力が抜けるような安堵を覚えたあせびであった。だが、そんなあせびをどう思ったのか、男は困ったように言い添えた。

「しかし、ここに入ったことは、内緒にしておいた方がいいだろうね。最初に会ったのが私で良かった。滝本あたりに見つかったら、間違いなく問題になっていただろう」

2024.04.10(水)