改めて自分のしでかしたことにぞっとしつつ、あせびは弱々しく、再度頭を下げた。

「本当に、申し訳ありません……」

「もういいから。でも、今の音を聞いて、正面に誰か来ているかもしれないね。おいで、こっちから出してあげよう」

 優しく手招きされ、あせびは震える足を𠮟咤して、男の後を追った。

「あなたは、春殿の方だろう?」

 双葉殿の女房か、とかれ、あせびは力なく首を振る。

「大変お恥ずかしいのですが……これでも、春殿の主なんです」

「何ですって?」

 驚いた風の男の様子に、あせびは情けなくなって俯いた。

「あの、どうにもならない事情がありまして、妹の私が代わりに来たのです」

 ああ、だから、と、男は合点がいったように呟いた。

「しかしそれでは、とんだ失礼をしてしまったな。お許し頂きたい」

 いえ、とあせびは口ごもる。失礼も何も、自分はまだこの男が、何者だか分かっていないのだ。むしろ自分こそ、失礼どころか無礼を働いているのではと気が気ではない。

 もごもごとそのような事を言うと、微かに男が狼狽するのが分かった。

「いや、私はそのような……恐縮されるような者ではない。その、金烏陛下の命令で、浮雲を取りに来た、ただの下男だ」

 ただの下男が、このように貴族然としているものだろうかと思いつつ、どうやら気を遣ってくれたらしいと分かった。素直に納得したふりをしつつ、うきぐも、というのは何かと尋ねた。男は一瞬逡巡した後、あの長琴のことだ、と教えてくれた。

「時々、朝廷での管弦の遊びで使われている」

「そうだったのですか」

 だから手入れをされていたのか、と思う。

 何気ないことを話しながら、男はいくつもの棚の間を歩いて行く。それから、壁と棚の間に隠れた、一見して扉と分からない、通用口のようなものを開けてくれた。屈まなければ入れない程に、扉は小さい。普通は使われることのない道なのだろう。

「ここから、藤花殿の廊に出られるはずだ。だが、いいかい。ここに来て私と会ったことは、決して、誰にも話してはいけないよ」

2024.04.10(水)