「いらっしゃいまし、あせびの君」

 どうぞお座りになって、と、上座から声を掛けてきたのは、この屋敷の主、真赭の薄である。幾重にも重ねた薄蘇芳をゆったりと着こなし、艶やかに脇息に寄りかかっている。

 お招きありがとうございます、と礼をして周りを見れば、白珠はすでにいたが、浜木綿の姿は見えなかった。声を掛けなかったのか、はたまた誘いを断ったのかは知れないが、今回の集まりには不参加らしい。

 二人の前にある火鉢と、そこから漂うふんわりとした良い香りに、どうやら香を焚いていたようだと分かった。あせびの視線に気が付いた菊野が、にこりと笑う。

「薫物合わせ、と言うほど、大げさなものではありませんが……真赭の薄さまが、冬殿の君がお持ちの練香に、少々興味をお持ちになられまして」

「だって、今まで知らなかった薫りなのですもの」

 丁子が強いのかしらと、真赭の薄は扇を揺らす。それを受けて、白珠のお付きの老婆が、慇懃無礼ともとれるような笑みを浮かべた。

「それはもう、北家代々に伝わる、秘法によって作られたものでございますれば」

「まあ、黒方にも似ているようだから、大体の配合は分かりますけれど」

 さらりと真赭の薄に言われ、年老いた女房の笑みが抜け落ちた。ふふん、と得意気な菊野の隣で、真赭の薄は興味を失ったように体を火鉢から離した。

「わたくしの香は、自分で調合したものですの」

 どうお思いです? とにこやかに問われ、白珠は無表情のままに答えた。

「少し、麝香が強いように思います……全体として、茉莉花に似た感じもいたしますが、これは何なのです?」

 よくお分かりですこと、と、嬉しそうに真赭の薄は言った。

「これは、汀荊(ていけい)黄双(きそう)を混ぜましたの。決まった割合で混ぜませんと、このような甘い薫りにはならなくてよ」

 それを受けて、これ見よがしに菊野が言う。

「汀荊は、白い水蛇の背に生えた茨の花から採れるもの。黄双は、生まれてから清めの水しか与えられずに育った、鵺の両眼より作られたものです。山内三種の貴香のうち、二つを贅沢に使っているのです」

2024.04.10(水)