「ああ、巳の日の祓ね」
それなら分かる。
上巳の節句は、人形に身の穢れを移し、川に流す行事である。そのための人形を、すでに自分で作って、懐に忍ばせてもいた。
顔が明るくなったあせびに安堵したのか、菊野は再び、自分の主自慢をし始めた。
「真赭の薄さまは、雛人形を作るのが上手ですのよ」
「嫌ですわ、菊野ったら」
まんざらでもない様子で笑う真赭の薄に、あせびは自分も会話の輪に入れるのが嬉しくて、思わず口を挟んだ。
「私も、得意なんです。今も持ってますわ」
今も? と揃って怪訝な顔になった一同の様子にも気付かず、あせびはふわふわした心もちのまま、素朴なつくりの、小さな雛を胸元から取り出した。
「人形は災厄の身代わりにもなるから常に持っておくようにと、お守りとして……」
そこまで言った時、堪えきれなくなったように、女房の一人が扇の内で噴き出した。それにつられたように、他の者も次々に、腹を抱えて笑い出した。
一人爆笑の渦につつまれて、あせびはきょとん、と目を丸くした。うこぎが蒼白になって顔を伏せていることから考えて、どうやら、笑われているのは自分らしい。だが、何がおかしいのだか、さっぱり分からなかった。
「それは、山烏のやる『形代流し』で使う雛でございましょう?」
半笑いで言ったのは、冬殿付きの老婆だった。
山烏とは、八咫烏の貴族のことを宮烏というのに対し、粗末な衣服を着た、庶民のことを指して言うのである。山烏、という言葉が出て来た途端、白珠はちらとも笑わずに、そっぽをむいた。しかし、山烏のやる、とは、一体どういうわけだろう?
「我々、宮烏の巳の日の祓では、そんな安っぽいことなどいたしません」
いいわ、と、真赭の薄が笑い混じりに、自分の女房に向かって扇を振った。
「わたくしのものを、特別に見せてさし上げますわ」
指示を受けた女房は、すぐに何かを抱えて、一同の席に戻って来た。
そっとあせびの前に降ろされたのは、一抱え程もある、実に立派な雛人形であった。
2024.04.10(水)