肌は、一体どうやって作ったのか、つるつると滑らかだ。着物は、実際に真赭の薄が身に着けているのと同じ、蘇芳で染められた赤い生地を使用している。指先ほどのかんざしも、職人の手によるものであると一目で分かった。

「三月も前から、手がけておりましたのよ」

 人形の出来栄えが満足なのか、真赭の薄の口調は明るい。

「小物はそれよりも前、一年も前に頼んでおりましたの」

「着物の色をお決めになられたのは、真赭の薄さまですわ」

「本当に、なんて趣味がよろしいのかしら」

 口々に主を褒め称える女房達も、誇らしげな様子を隠そうともしない。それを横目で見ながら、白珠の女房は鼻を鳴らして言った。

「ま、この雛が見事かどうかはともかく、宮烏であるというのなら、これが普通でございます。いいですか、ご存知ないようですからお教えしますが、『形代流し』など、今時、誰もやってなどおりませんよ」

 貴族にとっての上巳の節句は、一家の娘の、健やかな成長を願うためのものである。人の形をしたものを川に流すという点では変わりないが、その雛は、今ではただの形代と言うのが躊躇われるほど、美しい芸術品になっていた。

「仮にも、姫さまの代わりとなるものが、みすぼらしいものであってはなりませんからね。どの家も、威信をかけて、最高の物を用意いたします」

 そうして作られた雛人形は、家臣の手によって、これまた職人によって作られた、立派な船に乗せて川に流すのである。もちろん、すぐに回収し、その後で屋敷に飾られてしまうのだが、流されているその間、綺麗に着飾った雛を、注意深く眺める者達がいる。それが宮烏の青年達である。年頃の若君は、深窓の令嬢の姿を雛に重ね、将来の伴侶に思いを馳せるのだ。実際、上巳の後に、出来の良い雛の持ち主に、恋文が届くことも少なくはない。そのため桜花宮での上巳の節句は、五つの節句のうちで唯一、若宮来訪が定められていない行事でもあった。

 一方で、庶民の娘は普段から男子と顔を合わせているから、雛を立派にする必要がない。結果、あせびが持っていたような、木片に顔を描き、色紙で簡単な着物を着せたような人形を使うのである。よって、宮烏は上巳の祭りのことを雛の祭りと呼び、形代流しとは言わないのだ。

2024.04.10(水)