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文学作品が残したもの

 もっとも今日、足摺岬が観光地として有名なのは、決して空海一人のおかげではない。

 ―蒼い怒濤がはてしもなくつづいて、鷗が白い波がしらを這ってとんでいた。砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた。

 波が激しく断崖を食む足摺岬をこう描写したのは、昭和期の小説家・田宮虎彦だ。彼の代表作の一つ「足摺岬」は一九五四年、吉村公三郎監督・木村功主演で映画化され、この土地の名を全国に轟かせるとともに、多くの観光客を招いた。もっとも、足摺岬にやって来た自殺志願者の帝大生が、宿の人々や同宿の遍路たちとの触れ合いを通じて自らの生を取り戻すというそのストーリーのおかげで、そこには自殺の名所としての知名度が含まれてしまったのも事実ではあるが。

 当節、田宮虎彦の名は決して人口に膾炙しているとは言えない。わたしの手元にある「足摺岬」は昭和二十八年発行の新潮文庫版だが、これはすでに絶版で、紙の書籍かつ新刊で本作を読むことはできないらしい。しかしそれでも彼の作品が与えた影響だけは残り続け、足摺岬の名は日本人の心に深く刻み込まれている。

 土地を知るとは何か、とわたしは思った。我々は数々の情報や知識によって、まだ訪れたことのない地、はるか彼方にある地について知ることが出来る。しかしその情報・知識はどこから来たかと考えれば、それは先人たちの経験や歴史に由来する。

 我々は今日、その土地が経た長い時間のおすそ分けによって、各地を理解しているのだ。

「ほら、見えて来ました。あれが足摺岬灯台です」

 中山さんの声に目を上げれば、蘇鉄やトベラが生い茂る藪の向こうに、真っ白な灯台が佇立している。急いで前庭を横切ろうとして、わたしは足を止めた。「田宮虎彦先生文学碑」と刻まれた大きな碑が、そこに据えられていたためだ。その作品が読まれることは減ろうとも、土地の記憶はいまだこの地に根付いている、と思った。

 灯台の前には、昨日からずっとご案内をいただいている高知海上保安部の奥山正さんと、第五管区海上保安本部交通部企画調整官の土居健治さん。そしてもうお一方、初めてお目にかかる男性がたたずんでいらした。

「足摺岬で民宿を営んでいます、松田正俊です」

 にこやかに仰るかたわらから、奥山さんが「僕たちの先輩です」と言葉を添えて下さった。

「松田さんは以前、ここの灯台守でいらしたんです。今は海上保安庁を定年退職なさり、足摺に戻っていらして」

「じゃあ、元々こちらの方でいらっしゃるんですか?」

 つい尋ねると、松田さんは少し照れた様子で、

「まあ、その話は追々」

 と、わたしを灯台へと導いて下さった。

2024.04.04(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年3・4月号