夢魔のなかには、数人の集団をつくって一つの町に陣取り、縄張りらしきものを形成する連中もいるし、男女のつがいとなって駆け落ち者みたいにあちらの町こちらの町と放浪するのもいる。古兵みたいな夢魔があどけないなりたての夢魔を連れ歩いているのにも出会ったことがあるし、群れる連中を蔑む一匹狼の風来坊もいる。
かく言う私がどれに属するかと言うと、いまとなっては、やはり一匹狼の風来坊だろう。若い時分は仲間が欲しくて群れにもぐりこんだこともあるし、色気を出して女の夢魔と行動を共にしたこともある。また、親友と呼べる夢魔がいたこともあるし、しばらくのあいだ右も左もわからぬ幼い夢魔の面倒を見てやったこともある。しかしここ十年ほどは一人きりで気楽にやっている。夢魔も年季が入ると気難しくなって独り者になりがちだとは若いころから聞いていたが、まさにそれを地で行っているわけだ。だからといって私がすでに夢魔として老境に差しかかっているわけではない。四、五十年ものぐらいでは、まだまだ中堅のとば口と言ったところで、極端なところだと、幕末から令和に至る日本の移り変わりを見つづけてきたと言いはる夢魔に出くわしたこともある。そんな突拍子もない話でも噓か真か判じかねるのは、夢魔は外見から年齢を推し量ることができないからだ。夢を喰らいつづけていれば、いずれ子供から成長して大人の姿かたちにはなるものの、そこからはもう人間のようには歳を取らない。夢を喰らわずにひと月も過ごそうものなら栄養不足で顔は皺くちゃ、背も腰も曲がってくるが、充分に腹を満たしていれば若々しさを末長く保っていられる。つまり老けて見える夢魔は腹を空かせているだけで年寄りとはかぎらないし、肌艶がいいからといって若いともかぎらない。しかし百の坂を越えた夢魔たちが口を揃えて言うことには、歳を重ねると食も細ってだんだん夢を喰うのが億劫になってくるらしい。そしてその億劫がさらに進行すると、このまま霞のように消えてしまおうかというくたびれきった気持ちになって、実際に一片の骸も残さずにこの世から消え去ってしまうのだという。それが夢魔の死だ。〝人〟の〝夢〟と書いて〝儚い〟と読むが、まさに人の夢が潰えるように、夢魔は気力を枯渇させて儚い最期を迎えるのである。
しかし幸いにも、私はまだまだ若く、食欲も充分、俗世への好奇心も失っていない。昼間はだいたい空き家に忍びこんで空っぽの部屋で寝転がり、陽が落ちると町に出てうろつきまわることをくりかえしている。町が眠りに就くまでの時間は、だいたいテレビ好きの年寄りの家にあがりこんで、一緒にテレビを見ることにしている。もちろん人間は夢魔の姿を見ることができないから、私は部屋の隅に立つなり空いた席に座るなりして勝手に視聴に与るのだ。私の持つ人間社会についての知識のほとんどは、そうやってテレビから得たものなのである。子供のころはアニメが見たくて子供のいる家にあがりこんだものだし、クイズ番組に傾倒していたころは、そういう家を探しまわったものだ。十年ほど前からはニュースやドキュメンタリーが好きになってきて、その手の番組を好む家を選んで足しげく通うようになっている。
夜が更けると、そこかしこから種々雑多な夢の香りが漂いはじめる。夢魔は夢を喰いに出ることを〝狩り〟と呼ぶ。甘い香り、苦い香り、酸っぱい香り……これぞと思うような夢を求めて町々をさまよう。焦ることはない。人間の夢は、朝方に向けてしだいに味わいが豊かになるのだ。若いころは空腹に耐えきれずあっちの家こっちの屋敷とひと晩じゅう喰い漁ったものだが、この歳になると夢が熟するのを待てるようになっている。覚め際の夢の芳醇さは格別で、みずみずしく、かつコクがあり、ひと晩の食夢の締めくくりにふさわしい。腹が満たされると、今夜もいい狩りだったと脳裏で数々の夢を反芻しながら、朝焼けに染まった町を歩いてねぐらに帰るのである。
2024.03.18(月)