この夏、世界に激震が走った。ポップの女王、マドンナが、65歳の誕生日を目前に、細菌感染症によってICUに運ばれた旨が報道されたのだ。

 数日後には退院し、快方に向かっているようだ。予定されていたデビュー40周年ツアーの北米公演は延期されたものの、10月から欧州をまわる予定だという。

 とはいえ、このニュースは、多くの人々にショックを与えた。歴史上もっとも成功した女性アーティストとされる彼女が、非常にパワフルな人物として知られてきたからだろう。

男の子に下着姿を…マドンナを生んだ幼少期

 1958年アメリカのミシガン州に生まれたマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネは、厳格なカトリックの大家族で育った。ズボンを穿くこともお菓子を食べることも禁止されるなか「兄弟に許されていることが女の自分にはできない」不満を抱えつづけていたという。

 母の早逝によって「いつ死ぬかわからないから常にできる限りのことをすべき」という人生観も獲得した。こうして、学校では、成績優秀ながら男の子に下着姿を見せつける問題児となる。

 高校でダンスに目覚めてニューヨークに渡り、人気歌手となると、マドンナの挑発行為はヒートアップしていった。1980年代、彼女の立ち位置は、今でいう「炎上系」。知的なロックガールと見なされたシンディ・ローパーとは反対に「実力のないニセモノの歌手」認定を受けるなか、過激な話題を引き起こしてはヒットを飛ばしていったのだ。

 象徴的なのは、性表現だろう。婚前交渉をにおわせる「Like a Virgin」(1984)や「お金持ちの男が好き」と歌う「Material Girl」(1984)は、少女の非行をうながす不道徳な作品として、保守派から顰蹙を買った。妊娠した少女が父親に出産したい旨を訴える「Papa Don't Preach」(1986)では、人工中絶肯定派のフェミニスト団体まで敵にまわしている。

 最大のスキャンダルは「Like a Prayer」(1989)。このミュージックビデオでは、無実の罪を着せられた黒人男性が聖人として描かれており、十字架が燃えさかるなか彼とマドンナがキスをする。

 多くの宗教団体が抗議運動を行った結果、ツアーのスポンサーだったペプシは契約を打ち切った。一方、ビデオ自体はMTVで流されつづけて大ヒットしたため「騒動を金にかえた」成功例として歴史に刻まれている。

2023.08.12(土)
文=辰巳JUNK