桜は散り始めているが、標高百五十メートルの高台にある南郷高校は天気予報よりも一度か二度ほど気温が低い。午前六時、太陽は錦江湾の向こうに横たわる大隅半島に隠されていて、校庭の隅には朝靄も漂っている。湾にどっしりと浮かぶ桜島の、樹木の生えていない剝き出しの裾野は青黒い夜の色に沈んでいた。

 朝を感じさせるのは、わずかに輝く山頂と、鈍い光を放つ空だけだ。そんな錦江湾を背にして寮生の前を駆けていく志布井の姿は、シルエットだけが強調されていた。

「校庭二周! ファイッ! 一年から! ファイッ!」

 列を越えて駆けていく志布井の背後に一年生がわらわらとついていく。足並みの揃わない一年生に、横を走っていた塙が怒鳴る。

「階ごとに並ばんか! 最前列は新館一階。111号室の丸橋くん!」

「は、はい!」

 色白の腕をあげた一年生を塙は指差した。

「今日はお前が新館一階の当番やっど。先頭に行け。次ぃ、新館二階。112号室の富浦くん、居っか?」

「……はい」

 すぐ後ろから上がった声にマモルは驚いた。振り返ると、小柄な一年生が目を泳がせている。どうやら別の階の列に紛れ込んでしまったらしい。

「富浦くん、前に出て」とマモルは声を掛けたが、富浦は小刻みに首を振って後退った。説教が効きすぎてしまったらしい。

「富浦くん、どこに居っとよ!」

 塙が怒鳴る。マモルは富浦の隣に立って囁いた。

「ここです。行きます、って言って。大きな声で」

 頷いた富浦が声をあげようとした瞬間、川内の鋭い声が飛んだ。

「富浦っ! ずんだれとか(だらしないぞ)!」

 富浦はすがるような顔でマモルを振り返った。自分の部屋の安永ならしっかりしろと叱りつけるところだが、富浦は風紀委員の川内の部屋の一年生だ。マモルの指導は川内の顔を潰すことになってしまう。

「大きな声で返事して。川内先輩、怒ってないから」

 富浦は頷くと「ファイッ!」と大声を出した。

 そうじゃない――とマモルは目を覆う。ここです、だ。案の定、川内はピントの外れた返事を叱り飛ばした。

2023.07.20(木)