ところが、それでも続けてほしいという要望があり、結局〈百舌〉では主人公の死後四作、〈禿鷹〉でも一作を書いた。いずれも、生き残った複数の副主人公を狂言回しに、書き継いだわけだ。書く立場からしても、それはそれで新しい緊張感が生まれてきたから、不思議といえば不思議な気もする。また作者からすれば、主人公ないし主要人物が死ぬことで、かれらの存在を永遠化できるような、ひとりよがりな気分を味わえる、という副産物もあった。

 作家が自分の小説を解説したり、手の内を明かしたりするのは、いかがなものかという気もする愚行だが、わたしも今年(二〇二三年)の秋で傘寿を迎えることを理由に、どうか温かく笑殺していただきたい、とお願いする。


「解説」より

2023.06.02(金)