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何をするにも全力のパパを見て、考え方が変わった

――“最低の父親”から“最高の父親”へと、猪木さんの見え方が変わったのはいつごろになりますか?

 小さい頃や10代の頃は自分のことしか考えられないじゃないですか。大学を卒業したくらいからかもしれません。21歳、22歳……。

――きっかけとなる出来事はあったのでしょうか。

 ボストンの大学を卒業して1年くらい経ってから、私もロスに移ったんです。そこでパパと話をする機会、会う機会が増えたことは大きいと思います。

――それは、どういう場面で気が付きましたか。

 何をするにも全力で、諦めないんですよ。

 サンタモニカのビーチを一緒に散歩していると、みんなローラーブレードをしているんです。だから自分でもやりたくなったんだと思うんですが、パパって運動神経が実はあまりよくなくて。はじめのうちは滑るのが下手で、190センチのあの大きな体で、ドスンドスンとよく転ぶんです。

 それなのに「もう1回やるよ」って、できるようになるまで続けるんです。パパは何をするにも努力家でした。

 子供のころはブラジルにいたから、日本語も最初は不自由だったけど頑張って克服したみたいですし。英語もアメリカに住むようになって必死で勉強していました。

 とにかくやると決めたら全力投球。そんな姿に多くの人が魅了されたのかもしれないと考えるようになってから“最高の父親”と思うようになりました。

2023.04.03(月)
文=児玉也一
写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)