日本を代表するプロレス界のスターでありながら、プロレスというリングの外でも国会議員などとして活躍をしたアントニオ猪木さんが2022年10月1日に亡くなっておよそ半年。
アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんとの娘として生まれた猪木寛子さんが、初めてロングインタビューに応じてくれました。娘の寛子さんから見た、偉大なるアントニオ猪木、そして素顔の父・猪木寛至さんについて語ります。
闘い続けたパパの最期の言葉は「ありがとう」でした
――猪木さんからかけられた言葉のなかで、強く憶えている言葉、ご自身の支えになるような言葉はありますか?
そうですね……、パパと最後に話したときの言葉ですかね。
電話で話をしたんですけど、そのときに一言、「ありがとうな……」って。もう話すことも辛かったと思うんです。
実はこのときに私はパパに、「もう“行って”いいよ」って言ったんです。私が日本に着くのを待っていなくていいよ、頑張らなくていいからねって。“あっち”に行っていいんだよ、もうそんなに頑張らないでって。
そのことを、パパを支えてくれている人たちに言ったら「そんなことを言ったらダメだ」と随分叱られました。でも看護師として働いていると、当然、患者さんが亡くなる場面に立ち会うこともあるんですね。
パパは難病の「全身性アミロイドーシス」に罹っていました。この病気は全身に影響が出て、とても大変なものなんです。毎日、息をすることすら苦しんでいる患者さんに“頑張れ!”って声をかけるのは残酷だと思うんです。その状態でいったいどう頑張ればいいのか。頑張りようがないです。だから安らかに逝ってもらうことを願うのも愛だと思うんです。
パパと電話で話をしたとき、「私も愛しているし、子どもたちもパパのこと愛してるから。もう安心して――」そういうことを伝えて、最後に「パパ、もう“行って”いいよ」と言いました。その私の言葉に「ありがとう……」と返したパパは、「あぁこれで楽になれる」と思ったんじゃないかな。頑張り続けたパパの最期の「ありがとう」。それはただ返事としての「ありがとう」だけではなくて、いっぱいの思いがつまっていたと思うんです。
2023.04.03(月)
文=児玉也一
写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)