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父の姿から、だれかのために全力で取り組むということを学んだ

――寛子さんの人生の中でアントニオ猪木というのはどういう存在でしたか?

 私はいま、アメリカで看護師をしています。アントニオ猪木の娘なのになぜ? って思われる方もいるかもしれないですが、逆でアントニオ猪木の娘だからこそ看護師をしているんです。だれかのために、世の中のために全力で取り組む。父の姿を見て自然と私もそうなりました。

 看護師になる前はパパの仕事を手伝っていたんです。でも寛太(寛子さんの長男)が日本語学校に通っていた時にリタイアメントホーム、日本でいうと老人ホームのような施設ですかね、そこを訪問する機会がありました。

 そこには日系の人たちも入所していて、認知症が進んでいる方もいて。そういう方は症状が進むと、英語が喋れなくなって、日本語だけで喋るようになってしまうんです。ところがアメリカなので、看護師さんで日本語を話せる人がいない。それを見たときに看護師になりたい、私ができることがある、と思ったんです。

 その時はもう40歳を超えていましたが、若い学生さんに混じって、一から勉強をし直したんですよ。

 アメリカではNP(Nurse Practitioner)という、一定レベルの診断や医療行為、薬の処方ができる資格を有する看護師がいて、社会的な地位も高いんです。コロナが流行したときはスーパーでは並ぶことなく優先的に入れてもらえましたし、普段でも、ナイキやアディダスからはディスカウントを受けられるんです。

 家を買うときのローンとか保険でも看護師のために設けられた制度があって、日本とはまったく待遇が違います。誰かのために貢献している仕事として尊敬されているんですね。

 コロナ禍に、パパに勤務中の防護服姿の写真を送ったことがありました。パパは心配するよりも、私の仕事を誇らしげに、頼もしそうに語っていたと、日本でパパをお世話してくれていた方が私に話してくれました。

2023.04.03(月)
文=児玉也一
写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)