この記事の連載

熱狂的なファンを持つ、父・アントニオ猪木をうらやましいと思っていた

――猪木さんの引退試合が行われた1998年4月4日、寛子さんは試合会場の東京ドームでお父様に花束を渡しています。この日のことは憶えていますか?

 試合自体はあまり見ていなくて、むしろファンの方たちを見ていた記憶があります。

 7万人くらいの人が集まったといわれているんですよね? アントニオ猪木にそれだけ憧れをもった人が、熱狂している人がいる、ということに驚きましたし、うらやましいなと思いながら見ていた気がします。

 涙を浮かべながら見ている人たちもいて。ある意味、宗教的ですらあるなと思いました。

――3月7日に両国国技館で行われた「アントニオ猪木 お別れの会」も関係者やファンを合わせて約7,000人が駆け付けました。リングを模した式壇に向けて多くの人が「ありがとう」と叫ぶ光景から見えたのは、生前の猪木さんが何を成したのか、だと思います。

 それは寛子さんが言う、“最低の父親”と“最高の父親”のあいだを埋める、アントニオ猪木の姿ではなかったでしょうか。

 そう思います。

2023.04.03(月)
文=児玉也一
写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)