実は行方不明だったパパ
一方、パパは音楽家で世界を飛び回るというビックな男、香山ピエール、36歳。フランス人とは知らなかったが、誕生日は末広がりな8月8日。リカちゃんは実はダブルだったのだ。
しかし、いつからパパが登場したのだろう? 少なくとも私の世代ではパパを持っていた友人はいない。不思議に思って、後日、発売元のタカラトミーさんに思わず聞いてみたら、まさかの事実が判明!
「1967年のリカちゃん発売後、しばらく『パパは行方不明』という設定で不在でした」
夫が行方不明……!? 美貌も子宝も才能にも恵まれた華やかすぎる織江さんだけど、もしかしたらずっとシングルマザーで頑張っていたのかしら?
パパの人生に何があったのか、どういう理由でパパが行方をくらましたのか謎である。妻子を置いて自分探しの旅に出ていたのか、虎の穴で武者修行をしていたのか「行方不明」の理由は公式には明らかにされていないが、パパが発売されたのは、リカちゃん誕生から22年後。
1989年(平成元年)にリカちゃんファミリーに加わってからというもの、ピエール父さんは、家事・育児を超・頑張った。その結果、2014年に「イクメン オブ ザ イヤー(イクメン キャラクター部門)」を受賞したという。家族想いのパパの誕生について、「これは高度成長期のモーレツに働く父親像から、週休二日制の導入などをきっかけとした『マイホームパパ』の登場が背景にありました」とタカラトミーさん。行方不明からのピエール父さんの逆転人生が素晴らしい。
他人の芝生は青く見えるというけれど、人生勝ち組にしか見えない一家にも、紆余曲折あったのかもしれない……と勝手に想像するや、子供の頃よりもリカちゃんが愛しく見えてくる。
そしてもう一人。リカちゃん誕生55周年を祝うサイトの年表には、1972年に「リエちゃん(姉)」という文字が見える……リカちゃんは6人兄弟ではなく7人姉弟の次女だった? どうしているかは公表されておらず、現在の家系図には載っていないリエ姉さん。どこかで元気にしているのだろうか。
リカちゃんを最初に生産していた意外な企業
ここからは時代とともに移り変わるリカちゃんの素敵なファッションやフレンドたちをご紹介しよう。
55年間の間に、3回のモデルチェンジが行われたリカちゃんは現在で4代目。初代リカちゃんが登場した1967年は、ミニスカート全盛であったという。赤いワンピースとブーツが長い髪によく似合っている。
この「リカちゃんキャッスル」の1階にも「リカちゃんファクトリー」があり、リカちゃんの製作現場を2階のガラス張りから眺めることができる。昔からこの小野町のファクトリーでリカちゃんが作られていたのかと思っていたが、さきほどのタカラトミーさんが、意外な事実を教えてくれた。
「リカちゃんを一番、最初に生産していたのは、創業明治13年の千葉県の老舗の醤油醸造メーカー『太平醬油株式会社』(現・タイヘイ株式会社)さんです。当時の太平さんでは事業を拡大されて社内に玩具部ができた頃で、他社よりお人形の生産を請け負っていらっしゃいました」
なんと、リカちゃんを千葉のお醤油屋さんが生産していたとは!? 異色すぎる組み合わせだが、日本とフランスにルーツを持つリカちゃんならではの誕生話なのかもしれない。
2022.12.11(日)
文・写真=白石あづさ