誰もが憧れた“ムラジュン”から“村上淳”への変遷
映画にドラマにCM、作品形態やジャンルにとらわれず“村上淳”というカテゴリーの中で、楽しく自在に泳いでいるような印象を受ける、俳優の村上淳さん。
「すごくまろやかに、おだやかに、ひっそりと俳優をやりたい」と今の姿勢をインタビューで語った村上さんだが、最新主演映画『夕方のおともだち』では、まるで「ひっそりと」という言葉は似つかわしくないほど激しく、愛と究極の性、自己についての物語を謳歌した。
一方で、20代の頃は尖っていたと、当時持っていたこだわりについても思いを馳せ、笑みを浮かべた村上さん。
あの時代に誰もが憧れた“ムラジュン”から、円熟味が増しオトナとしての魅力をたたえた“村上淳”への変遷。
本作の撮影エピソードとともに、現在そして過去の思いを語ってもらった。
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10年前の企画がついに結実。「生きるって、無様なこと」
――10年前にオファーをいただいたという『夕方のおともだち』について、「この役だけは本当に他人にやらせたくなかった」というコメントをされていました。そこまで強く思った理由は何でしたか?
いくつか理由はありました。『夕方のおともだち』の台本を読んだときに、ずるかったり、無様だったり、卑しかったりする部分を肯定もせずに描かれていたことに惹かれたんです。生きるって、無様なことじゃないですか。廣木さんですし、「容赦はないだろうな」と思いましたし、やりたかったです。
この作品は濡れ場が多く出てきますけど、役者人生において僕、濡れ場が多いんですよ(笑)。濡れ場は段取りがあるので、情緒のあるアクションに近いんです。唯一違うのは、アクションは殺陣師がつくけど、濡れ場には濡れ師みたいなものはつかない。そういうこともあって、さらけ出すにはもってこいなんですね。それに、肉体的なだらしなさをスクリーンに焼き付けたかったことも、やりたかった理由のひとつにありました。
――なぜですか?
もうシンプルです。僕としては、スクリーンではだらしない女性や男性の身体を見られたほうが、落ち着きがいいんです。対比で言うと、要するに筋肉美になってくると思うんですが。身体がだらしないと、そこに生活が感じられるというか、刻まれたような生っぽい感じが出る気がして、出ればいいと思っていました。(本作で演じた)ヨシダヨシオでいうと、女王様の前によつんばいになって「鞭を打って」というシーンの、あのだらしない感じがね、「あー、それだよ、それだ」っていうね(笑)。
2022.02.04(金)
文=赤山恭子
撮影=山元茂樹