vol.30 名古屋
8371番目の夜だった。
閑静な住宅街の中で灯りを落とし、ひっそりと営む店は、35年目を越え、毎日手書きされる品書きは、8371回目を迎えていた。
「いらっしゃいませ」
いつものように上品な奥さんと優しい目をしたご主人が挨拶する。
流麗な字で書かれた品書きに目を走らせる。
「どれも頼みたい」
この店に来るたびにそう思う。
ヒラメは細く薄切りにされ、くるくると巻いて品のある甘みを噛みしめる。
縦長でやや太く作られたタチウオは、歯が包まれながら、じれったいような甘みがにじみ出る。スミイカは、厚く四角く、歯に吸いつくような甘みを楽しめる。
数の子松前漬けは、煎ったばかりのゴマと、細く細く同寸に切られた昆布と人参が、味を生かしている。
サザエとゲソ、ウド、菜の花の酢みそは、あたりがピタリと決まって、酒を呼ぶ。
その料理も注文してから作られる。下ごしらえはしていない。だからすべての料理から、食材の香りが生き生きと放たれる。
煎ったばかりの浸し豆は、香ばしい干し虎豆で、クリッと噛めば、歯が喜ぶ。
2018.04.30(月)
文・撮影=マッキー牧元