「睡眠時間が足りずにフラフラだった」それでも手を抜かずに介護を続けたワケ
一回に食べる量はそこまで増やせないため、回数を確保するようにした。それは私が睡眠時間を削って長く起きていることを意味した。いつもより早起きして、さとちゃんのご飯。ラジオが終わったら急いで帰宅し、日中は2~3時間置きにご飯。夜も深夜まで食べさせた。
ある時、手の甲に潰したウェットフードをのせて舐めさせた方が食いつきが良いと発見し、お皿もやめた。洗濯カゴの中、床に広げた毛布の下など、さとちゃんのその時落ち着く場所、どこででも介助した。夜中急変するのが心配で、キッチンの床で添い寝をしては、朝起きてさとちゃんが生きていると、ホッとした。
私は腰痛も悪化したし、手を洗ってもキャットフードのニオイがこびりついていたし、睡眠時間が足りずにフラフラだったが、ここで手を抜いて、後悔したくなかった。1ヵ月が過ぎ、新しい年を迎えた。それでもさとちゃんはがんばっていた。
体調は不安定、数値もよくなかったが、体重が少し増えてからは、少しだけ、元のさとちゃんが戻ってきた。一緒にベッドで眠ってくれたり、膝に乗ってゴロゴロ喉を鳴らしながら甘えてくれたり、おもちゃと戯れたりしてくれることもあった。
4ヵ月目には誕生日が来て、さとみは16歳になった。
獣医師さんには、無理な延命より、生きている間のQOLを少しでも良くしてあげたいこと、穏やかな日々を最期まで過ごさせてあげたいことを伝えていた。先生は忍耐強く話を聞き、しっかり伴走してくださった。
「最初の状況から考えると、私も驚きです。本当にがんばっていて、さとみちゃん凄いです。ご家族が一緒にがんばっているからですよ」
そんな先生の言葉に、私は何度も救われ、涙した。
看病と介護をする時間は奇跡のような時間だったが…7月の終わりにその日が来てしまった
すべてを記憶に留めたくて、自由になる時間はずっとそばにいた。甘えてくる表情も、くっついてくる体温も、足の先の模様も、美味しそうに食べてくれる姿も、すべて唯一無二で、愛しかった。毎日が宝物だった。
今思えば、さとちゃんは私に、看病と介護をする時間をくれたのだ。奇跡のような時間を。
そして、7月の終わり。ついにその日が来てしまった。
死に様は生き様と言うが、さとちゃんは最期まで凜とした、意志を感じるネコだった。
その日は、お昼過ぎから、様子が違った。キッチンのいつもいる場所を離れ、ウロウロと家中を移動して回った。ソファの上、洗面台の上、ベッドルームの窓際と、まるで家とお別れをしているようだった。
最後の晩餐はちゃんと、一番の好物のドライささみを食べ、ささみスープを飲んだ。
その後、足を引きずりフラフラしながらも、最後の一回まで、律儀に自分でトイレまで行ってオシッコをした。
