土と水、自然な農法で育まれたお米、微生物の力を活かした調味料、その土地の自然環境に適応する在来種の野菜。今、そういったもともと日本人がつくり続けてきた食品は0.1%以下の流通量になってしまっています。

 自然と文化が織りなし生まれた食品を「素の味」と呼び、もう一度、素の味が食卓にあるのがふつうの風景にしていけたらと始まった、会員制スーパーマーケット「Table to Farm」のディレクター・相馬夕輝さんに、日本の素の味を教えていただきました。

 今回は、在来種の野菜について。

» 世界に広がる野菜。野菜の種はたくましく賢い
» スーパーに並ぶ野菜が、全部同じ大きさと形って本当に自然?
» 種継ぎ在来野菜の種は、品種だけにあらず。種を継ぐ農家と共にある文化作物
» 生命力のある食べ物で、生命力のある身体をつくる
» 食べるものは、なるべく暮らしの近くで見つけよう
» おいしい野菜は、料理を簡単にして、身体を元気にする


世界に広がる野菜。野菜の種はたくましく賢い

 今も日本に残る野菜の多くは、川に流され、鳥や動物たちの体に付着し、世界中からの宗教や文化の伝来とともにそれぞれの土地にたどり着き、その環境や気候、土壌の性質に適応し自生して、また、おいしさを求めて多くの農家が選抜育種をしながら育てられてきたものがほとんどです。

 自然薯、茗荷、ウド、ワサビといった、日本に自生していたもの以外は、その多くが海外から渡来した野菜。

 種の生存戦略はたくましく、人の存在は、世界中へ生命を運んでくれる格好のパートナーでもあったと言えます。人が種を運んだのか、種に人が運ばされたのか。今、手に入る全ての野菜は、在来の野菜はもとより、種苗会社がつくるF1品種(First Filial Generation:雑種第一代。形質が固定している2品種を交配してつくる品種のこと)の種も然り、人と種と、二人三脚で育んできたものでもあります。

 野菜は、太陽を浴びながら光合成をし、土壌から多くの栄養を吸収して育ちます。土壌の構造は実は複雑で、さまざまな微生物や鉱物、有機物によって分解と結合を繰り返しながらつくられています。植物を食べ、食物連鎖を繰り返す生物たちから、糞や屍が生み出されます。それらは微生物たちにとっては最良の餌となり、生まれた有機物は微生物によって分解され、大地に土となり戻っていきます。

 これは動物に限らず、木や植物たちも同様です。木が枯れると、木の内部にきのこの糸状菌が張り巡らされます。にょきにょきときのこを生やしながら、水分も栄養分も吸われて分解されていった木は、中までスカスカになり少しずつふかふかとした腐葉土へと還っていく。

 全ての生物は長い年月をかけながら土に還り、また土からそれぞれの命を育んでいく、大きな命の循環を続けています。私たち、生物は、ある意味で土から生まれ、土に戻る、ただそれだけを繰り返しながらこの地球をつくっていると言えるでしょう。

スーパーに並ぶ野菜が、全部同じ大きさと形って本当に自然?

 豊かな命の循環を繰り返す有機物豊富な土壌のたくさんの実りが得られる原理を活かしながら、おいしさも求めて農業という生業に置き換える仕事が農家の仕事。誰もが自給自足のような暮らしをすることは現代社会においては難しいので、農家が担いながら、なるべく多くの作物を収穫し、消費地へと運ぶ。

 ただ、その行き過ぎた効率的なシステムによって、いつからか、人が中心に野菜を考えるようになってしまいました。日本中のスーパーでは、いつ行っても年中食材が並び続ける時代になりました。北海道の東の端でも、九州の野菜が並んでいます。冬に身体を冷やす効果のある夏野菜を食べる必要はあるのだろうか。

 土や種から見れば、人間はどれほど不自然でクレイジーな存在に見えているでしょうか。自然は冷ややかに人間のことを傍観しているように、僕には思えてなりません。

 冬に夏野菜が並び、どの野菜も同じ大きさで並ぶ。箱詰めして効率的に運ぶにも、価格の設定をするにも好都合。

 しかし、自然がそんな人の都合を気にして実りを生み出すでしょうか。そんなはずはありません。むしろ、自然の中では同じものが均一に生まれることはなく、大小様々に生まれ、良いものも悪いものもある。だからこそ、雨の多い年も日照りが強い年も、種が渡った土地の土壌の質や寒暖差などに合わせて環境の変化に耐えながら、そして受け入れながら、一つとして同じ顔を持たない野菜によって、長く生存し続けていく多様性が生み出されていくのが本来の姿だと言えます。

 そんな作物の未来を思いながらどの種を来年に残すかを選別する仕事は、野菜の栽培に関わる農家の個性が現れ、人々とおいしさとの接点を生み出すクリエイティブな仕事です。ある料理人に言われたことがあります。農家はアーティストだよ、と。その意味を、僕は多くの農家を見ながら、種を継ぐ農家の元に行った時に初めて、その本当のところを理解したように思います。種という生命の原点と寄り添いながら生産をする仕事がいかに創造性溢れる仕事たるかを。

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