それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。僕はもっとすずさんが実感できるもので、自分たちが振るった暴力のことを認識するべきだと思ったんですね。

 

彼女は毎日食卓を整える主婦なので、食べ物がどこから来ていたのかということを知っている立場なんです。だから自分たちがやってきたものを、食べるものを通して本当に根拠のあることとして言えるのではないかなと思ったんです。それと、できるだけ今回の映画では、現代の我々から見た理念みたいなものを、すずさんの上に重ねないようにしようと思ったので、そういう意味でも、彼女は当時の食べていたものから、自分たち行ったことが身にみてしまうとう(ママ)ことにしたかったんです。

――「『この世界の片隅に』公式facebook」

映画のすずを、原作が描いた“気づき”に至らせるために

 片渕のこの回答のポイントは二つある。

 ひとつは、すずに「現代から見た理念を重ねない」という点だ。先述した通り、本作はディテールからその世界=時代を作り出し、そこに観客を立ち会わせようとしていた作品だ。その場合、現代的な視点ですずが戦争を語るという振る舞いは、映画の狙いと合致しない。“ぼーっとしたところ”のあるすずが、戦中のインテリのように、ある種の当然の帰結として敗戦を受け止めるのは難しい。

 そこを前提にした上で、映画のすずを、原作が描いた“気づき”に至らせるには、すずの生活実感を通じて描くのが一番であろう、という判断である。原作よりも、より「時代の中の個人」という立場を意識した変更といえる。

アニメと戦争

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日本評論社
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2025.08.26(火)
文=藤津亮太