この記事の連載
松岡充さんインタビュー #1
松岡充さんインタビュー #2
マイケル・C・ホールと、映画の後日談としてのニュートン
――なぜそんな大変なスケジュールに挑戦しようと?
松岡 先ほども言いましたが、ミュージシャンと俳優の活動を“切り替えない”でいける自信があったからです。切り替えないといっても、ステージのテンションそのままで「SOPHIAの松岡充ですっ!」と舞台に登場する、という意味ではありません(笑)。
結局、「表現する」という意味では、バンドのライブも舞台のステージも同じなんです。ただ、ライブは、とくに自分のバンドのライブとなれば、失敗したり納得がいかなかったりしたら「ごめん、もう一回」とやり直しができますが、舞台では、たとえ主演であっても「全体のなかの一員」なので、自分ならこうするという考えは、飲み込んで進めた方が良いときもある。それが今回の『LAZARUS』では、ライブのように、違ったら立ち止まることもできるステージにできるのではないかと、勝手にそう思えたんですね。
「松岡のせいで全体稽古の時間が少ない」と共演者のみなさんに言われてしまいそうですが(笑)、それも含めて新しいやり方というか、これまでにない舞台を生み出すパワーが生み出せる初演作品になるような気がしています。
「元」ミュージシャン、「元」ボーカリストの俳優が演じるのではなく、「現役」ボーカリストである僕が、ライブツアー中に稽古をして、ツアー終了後にレジェンドアーティストが遺した作品の舞台本番を迎える。そんな“普通”じゃないライブ感も、今回の舞台の強みになると思っています。
――今回松岡さんは、オフ・ブロードウェイの初演を演じたマイケル・C・ホールの別バージョン、映画『地球に落ちてきた男』の後日談としてのニュートン、どちらをより意識されていますか?
松岡 それ、めちゃくちゃ難しい問題ですよね。まだ芝居の稽古が始まっていないので、まさにこのあと、白井(晃)さんと話そうと思っていました。
これはあくまで僕なりの解釈ですが、デヴィッド・ボウイが演じた『地球に落ちてきた男』の40年後という視点で観ると、正直、マイケルの舞台はしっくりこないんです。ビジュアルもそうですが、立ち姿も歌い方も、「デヴィッド・ボウイが演じたニュートンの40年後」とはイメージが違いすぎるからです。
でも、「生まれ故郷の星に帰れなかった宇宙人・ニュートンの魂」という視点でマイケルの演技を観ると、すごく納得がいきます。
どちらにも善し悪しがあり、どちらでも創れそうな気はするので、ここは、ボウイと一緒に脚本を手がけたエンダ・ウォルシュ作品を数多く担当してきた白井さんの意見も伺いながら、方向性を探っていきたいと考えています。

――デヴィッド・ボウイの遺志で、脚本の変更や楽曲のアレンジは一切NGとされています。オリジナリティを出すことは難しいのではないでしょうか。
松岡 楽曲のアレンジはNGとされていますけど、ドイツ版とオフ・ブロードウェイ版は、それぞれ個性が出ていて、びっくりするほど違います。だから、日本初演版でも確実にオリジナリティは出せると思っています。
――劇中に歌が17曲も織り込まれていると伺いました。ミュージカルというよりは、まるでライブのようですよね。
松岡 そうですね。全編通してほぼ歌なので、これまで何度もミュージカルの舞台を経験してきた僕でも、なかなか大変な舞台になると思っています。
だいたいのミュージカルでは、お芝居のなかで登場人物の感情が高まったところで「歌」が入ります。つまり、言葉での会話より深く熱く想いを届ける手段として楽曲を使っているので、当然ですが、芝居の内容に則した歌を歌う。
ところが、『LAZARUS』では、まず第一にデヴィッド・ボウイの楽曲があって、そこから芝居が創られているので、単純に歌詞を追いかけるだけでは訳が分からなくなってしまいます。そこは難しいな、と思うところですが、デヴィッド・ボウイとエンダ・ウォルシュはきっと理由があって歌の順番を決めているはず。「正解」はもしかしたら最後までつかめないかもしれませんが、それでも僕らは、その答えを追い求めなければいけない。そうじゃないと、このミュージカルは破綻するという覚悟で挑みたいと思っています。
2025.05.04(日)
文=相澤洋美
写真=鈴木七絵