この記事の連載
味坊【前篇】
味坊【後篇】

ここ数年、本格的な中国料理が楽しめる、いわゆる「ガチ中華」を取り扱うお店が広がりを見せていますが、その火付け役としていまだに衰えない人気を獲得しているのが、中国東北地方の絶品料理を提供する“味坊集団”です。
味坊集団は宣伝用のXアカウントには約1.9万人もフォロワーがいるなど、熱心なファンも多い同店。東京を中心に今や14店舗を展開しており、2025年3月には丸の内に新店舗「味坊之家」をオープン。中華好きなら一度は耳にしたことのある人も多いことでしょう。
2025年3月3日に丸の内に新店舗をオープンさせた味坊。今回はその本店である「神田味坊」を訪問し、常連たちから“梁さん”の愛称で親しまれているオーナーの梁宝璋(リョウ ホウショウ)さんに、創業までのヒストリーを聞きました。
元は画家だったオーナーが手探りで始めたお店がファンの心を掴んだ

JR京浜東北線神田駅の東口から徒歩約3分。忙しく働くサラリーマンの心と体を解きほぐす飲み屋ストリートの一角で賑わいを見せているのが、“味坊集団”の原点と言ってもいい「神田味坊」です。
気取らない外観からは、食通であればあるほど「この店は絶対に美味しい……」というオーラが感じ取れるはず。お店は2棟が連なっており、それぞれが2階建て。金曜日の夜ともなると、お酒の入ったお客さんたちの笑顔でいつも満席です。
そんな同店ですが、オープンまでの軌跡は意外なものでした。

「残留孤児だった母が、中国の東北にある黒竜江省から日本に帰ることができたのは1994年のこと。その翌年に当時32歳の私と兄も日本に行けるようになりました。来日当初は、アルバイトやパートをしながら食いつないでいましたが、私には妻と6歳の子どもがおり、養うためにしっかりとした生計を立てなければと思い直したのです。けれど、中国でやっていた仕事は油絵の画家。当時は日本語も全然喋れず、画家を日本でも続けることは現実的ではありませんでしたね。
幸い母が料理上手で、それを昔から横で見ていましたし、結婚後は自分で料理をすることも多かったので、『じゃあ、中華料理でもやるか』と、1997年に妻と二人で足立区に『味坊』という名のラーメン屋を開きました。なかなか評判もよく、お金も貯まったのでより都心の神田に2000年に移転しました。これが現在の『神田味坊』です。
オフィス街が近かったこともあって人通りも多く、『ラーメンやチャーハンだけじゃさみしいね』と、炒め物などにも手を出すようになり、日本で言うところの“町中華”のような店に変わっていきました」(梁宝璋さん、以下同)

そこからなぜ、中国東北地方の料理を提供するスタイルに転換したのかが気になります。
「最初から一部メニューで故郷の料理は出してはいたのですが、メインはあくまで日本風にローカライズした町中華料理でした。けれど、あるとき中国人の常連さんから『梁さんの地元の羊料理をもっと色々食べてみたいよ』と言われましてね。神田は中国に駐在経験がある日本人が多かったので、需要は思っている以上にある。だったら、神田で羊串などの本場中国東北料理が食べれたら喜んでもらえるだろうなと思って、2002年くらいから本格的に出すようになったわけです」
味坊さんは中華料理屋なのにワインが飲めることでも知られていますが、これにはどんなきっかけがあったのでしょう。

「これもお客さんの要望ですね。元々、ボジョレーヌーボーの時期はワインを置いてはいましたが、ワインは飲むだけで全然詳しくないから、ほかにどんなものを置いたらいいかサッパリでした。
でも、2011年ごろに日本にナチュラルワインを根づかせたワインバー『祥瑞』のオーナー・勝山晋作さんが来て、週に3回も来てくれる常連さんになってくれたのです。そんな彼からある日『ちょっと梁さん、この羊串でワイン飲みたくなっちゃったよ』って言われましてね。
それがきっかけで勝山さんが教えてくれた自然派ワインをいくつも仕入れたのですが、相変わらず何がどれに合うのかとか、飲み方とかはわからなかったので、今の“お客さんが好きな銘柄を冷蔵庫から出して飲んでもらう”というスタイルに落ち着きました。このオリジナリティがウケまして、知名度がより上がったと思いますね」
2025.04.29(火)
文=むくろ幽介
写真=志水 隆