美しい海とアート、そして環境問題を背景に、若い女性同士の愛を描いた『今日の海が何色でも』。伝統的価値観を大切にするイスラム教徒の家に生まれた女性シャティと、都会からやってきたアーティストの女性フォンが惹かれあい、葛藤し、自分を解放していく姿を、マジック・リアリズムの手法で描く美しい映画だ。

 タイは東南アジアで初めて同性婚を認めた国であり、性自認や性的指向による差別を禁止する法律もある。だが映画の舞台となる南部はイスラム教徒が多く、LGBTQに寛容とは言い難い面がある。これが長編劇映画デビュー作となるパティパン・ブンタリク監督に話を聞いた。


ジェンダーやさまざまなものを超えた作品として捉えて欲しかった

――実は映画を観ている間、女性が撮った作品だと思い込んでいました。

 はい、みなさんそう言います。

――それについてはどうお考えですか?

 私としてはとてもハッピーです。元々、私もこの映画をジェンダーやさまざまなものを超えた作品として捉えて欲しかったんです。既存のラベルを剥がして、二人の人間の間に生まれる感情を見てもらいたいと思っていました。

 多くの人が女性の視点で描かれている、と感じたということは、監督としての私自身のジェンダーも超えることが出来たということですから。人々は、ジェンダーだけではなく、宗教をはじめいろんなことに固定観念を持っていますが、この映画ではそれを超えたいという意味で、ジェンダーをはじめさまざまなことを曖昧にしています。

――曖昧というのは、女性二人の恋愛のように見えますが、実は彼女たちの性自認も曖昧というか、ノンバイナリーかもしれないし、まだ自分でわかっていない、というようにも感じられました。

 私自身、二人のジェンダーを規定していませんでしたが、シャティとフォンを演じる女優二人にもそこを気にせず、どう感じるか、その感情にフォーカスしてほしいと伝えました。

 また、どちらかがより男性的で、どちらかが女性的だとか規定することはしたくないし、二人の間に生まれたのは恋愛かもしれないし、実は友情かもしれないし、そこも規定はせず、観る人に任せたかったんです。

2025.01.28(火)
文=石津文子