この記事の連載
- 浅野忠信x内田也哉子対談 前篇
- 浅野忠信x内田也哉子対談 後篇
祖父に導かれてハリウッドへ?
内田 ご先祖はネイティブ・アメリカンではなかったんですよね。
浅野 曾祖父はオランダからの移民、曾祖母はノルウェーからの移民でした。
内田 北欧系だったんですね。
浅野 祖父が生まれ育ったのは移民が多い地域で、ネイティブ・アメリカンが住む地域に近かったんです。祖父と祖母はお互いにカタコトの日本語、英語で話していただろうから、おそらく「インディアンをよく見かけたよ」というような話を祖母は聞き間違えたんでしょうね。
僕はネイティブ・アメリカンの本を読み漁り、僕と同じスピリットだと感動していたんですけどね。映画『モンゴル』でチンギス・ハーンをやるときも、セルゲイ・ボドロフ監督に「僕にはネイティブの血が入っているから彼の気持ちはわかります」なんてガンガン熱くアピールしていたのに、実はまったく入っていなかったとは。
内田 (笑)
浅野 『マイティ・ソー』は北欧神話に登場するバイキングの話がベースになっているんですよ。なんだ、こっちだったのか(笑)。
内田 お祖父様が浅野さんをハリウッドに導いてヒントを出してくれていたような。浅野さんは気がつかなかったけど。
浅野 そう思いたくなりますよね。もしかしたら僕が受け継いでいるのはバイキングの血なのかも(笑)。
内田 偶然の出会いが幾重にも重なっていたのは、会うことが叶わなかったお祖父様が孫の道筋を照らしてくれたのだと、私は思いたいです。
浅野 その後、『47RONIN』という赤穂浪士の映画の話をいただいたとき、僕は浅野なんだ、浅野家の血を継いでいるんだとさんざん説明したのに、吉良上野介の役だった。あれ? 先祖の助けがなくなったか?(笑)
内田 あとは自分で頑張れって(笑)。
浅野 僕も也哉子さんに聞きたかったんですよ。也哉子さんはあの自由奔放な裕也さんのお父様やお母様のことはご存じなんですか。
内田 父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっています。祖母は兵庫県西宮の人で、体調を悪くしたので母が東京に呼び寄せて一緒に暮らした時期があったんです。そこに裕也はいないんですけど母と祖母はとても仲が良かった。祖母からは、裕也が子どもの頃にあまりに奔放だったのを心配して、当時でいう脳病院に連れて行ったことがあると聞きました。
浅野 希林さんのお父様、お母様とは?
内田 私が小学生のときに2人とも他界しました。祖父は警視庁の刑事だったんですよ。浅野さんはよく刑事の役をやりますよね。
浅野 ちょうどいま撮っている映画でも刑事をやっています。
内田 ドラマのような話ですが、祖父が祖母のカフェで張り込みをしているうちに、2人は恋に落ちたんです。本当は琵琶奏者になりたかったという祖父に、祖母は「私が稼ぐからあんたは好きなことをしなさい」と言ったので、祖父は刑事を辞めてしまいました。
というわけで、父はギターを弾けないロッカーでしたが、祖父は稼がない琵琶奏者。「也哉子、なんで琵琶は流行らないんだろうね。どうすれば琵琶はマイケル・ジャクソンに勝てるのかね」とこぼしていたのを覚えています。
浅野 お祖父様もお祖母様もサイコーのキャラですね(笑)。
2025.01.17(金)
文=こみねあつこ
写真=平松市聖