この記事の連載

 ドラマ「SHOGUN 将軍」でゴールデングローブ賞助演男優賞(テレビドラマ部門)を、日本人として初めて受賞した浅野忠信さん(51)。

 謎だったルーツ、なぜハリウッドに行ったのか、なぜ音楽をやめたのか、結婚観……2022年に『24時間テレビ』スペシャルドラマ『無言館』に主演した浅野さんと、無言館共同館主である内田也哉子さんの対談を『週刊文春WOMAN2024夏号』より転載する。(前後編の後編/はじめから読む)


初めての演技だったのに、“できてしまった”10代の頃

内田 浅野さんは『3年B組金八先生』(第3シリーズ、TBS)で14歳でデビューして、早いうちに映画に軸を移されましたね。

浅野 『金八先生』はタレントのマネージャーをしていた父親の勧めでオーディションを受けました。初めてなのになぜか演技ができてしまったんですね。その後もいろいろなオーディションを受けるのですが、同世代の子どもたちが待合室で久しぶりに会って「元気?」とか自然に話していて、オーディションに臨むと「元気だったかい。会いたかったよ」と“いかにも”な演技が始まる。僕はえ? さっきのお前はどこへ行った? と思ってしまうんです。

 “会いたかった”気持ちが表現されるシーンなのに、演技が邪魔しているからぜんぜんグッとこない。どうやったら“会いたかった”に見えるんだろう。そればかり考えていました。

内田 リアリティの問題ですね。

浅野 そうなんです。自分自身のリアリティに向き合わなければいけないと、これは今でも考えます。

 18歳ぐらいのときに、その“噓くささ”が嫌で、もう俳優はやりたくないと言って父と大喧嘩になったことがあります。そのとき、「映画の現場だったら大丈夫な気がする」と言ってしまった。なぜそんなことを言ったのかいまだにわかりません。ただ、映画の現場は裏方さんのちょっとまともじゃないおじさんが話しかけてきたりする。そのほうが楽だったんです。

 自分のリアリティというものに向き合おうとするから、僕は要領がよくない。同じ頃、テレビドラマで共演させていただいた緒方拳さんが父に言ってくれたんです。「こいつはそんなにすぐにできるタイプじゃねえ。時間がかかるんだから、お前もうちょっと時間かけろ」と。

内田 さすが緒方さんですね。よく見ていらっしゃる。

浅野 父も緒方さんに言われればなるほどと思う。ちょうど90年代のインディーズ映画のブームがきたので、それに乗っかってしまいました。

内田 是枝裕和さん、岩井俊二さん、青山真治さんなど当時の若手の監督さんに浅野さんは引っ張りだこでしたね。

2025.01.17(金)
文=こみねあつこ
写真=平松市聖